しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

子どものお昼寝事情

今日、息子は日中姉や姉の友達と遊んでいたため、お昼寝をしなかった。


息子はまだお昼寝をする日が多い。平日は、幼稚園からの帰りのバスで寝てしまう(息子は最後に降ろされる)。だから、帰るまでに寝てしまう。

それでも、夜も割と寝つきはよい。しかし、その分朝は早い。5時ごろ起き出す。

今日も朝早く起きていた。なのに昼寝をしなかったため、夕ご飯ころは眠くて仕方がない様子。機嫌悪く夕飯を食べ、なんとか体を洗い、歯磨きをして夜寝に入った。


娘は、今の息子くらいの頃はもう昼寝はしていなかった。夜は早めに寝て、朝も6時過ぎまで寝ていた。きょうだいでも全然違うんだなと思う。


息子のお昼寝。そろそろ卒業させた方がいいのだろうかとも考える。が、バスで寝てしまうのはどうしようもない。朝、もう少しゆっくり寝てくれれば少し違うんだろうけど。今日は7時前におネンネ。朝早いんだろうなぁ。。。

Cool Head,but Warm Heart.

アルフレッド・マーシャル氏の言葉。

といっても、詳しくは分からないが。

しかし、こうでなければならないなと強く感じる。

第2ラウンド 勃発

金曜日の出来事。職員会議の後の現職教育の全体会。

またあの学年が。。。

http://www.truth-teacher.com/entry/2017/05/26/175808

私はこのような趣旨の発言をした。

「できるかぎり、お互いの授業を参観しましょう。3年後には完全に新学習指導要領が完全実施されます。今年は周知・徹底の年です。この機会に、普段の授業の在り方から意識して置かないと、取り残されてしまいます。そのためには、やはり授業を見合って新しい授業の在り方を探っていかないといけないと思います」

のような発言。

すると、例の学年のメンバー(この前「見られたくない」と発言した主任の味方(?)のような先生)が手を挙げる。

「『新しい』といっても、正直よく分かりません。先生の方で『何が古くて、何が新しいのか示してほしいと思います。それがないのに、いくら『授業を見合いましょう』といっても、どの授業がいいのか分からないです。」

と言ってくる。
もしかしたら、私を試しているのかもしれないし、私いうことがとにかく気に入らないのかもしれない。

でも、その学年から何か言ってきそうだなというのはある程度予想がついていた。だから返そうと思った瞬間、校長から、

「新学習指導要領がでました。その解説もでました。まずは、ご自分で確かめてみましょう。全部できるわけありません。自分の専門の教科だけでもいいので研究してみることが大事ではないでしょうか。新しい授業の在り方を探るのは皆さんです。それを研修主任に求めるのは違います。」

と言ってくれた。ありがたい。

そこでやめておけばいいものの、私も追随してしまう。しかし、やはり私のいうことにはカチッとくるのだろう。

「授業を見て、先生方のいいところを見つけることから始めたらよいのではないでしょうか・・・」

と言った途端、

「その『いいところ』っていうのが分からないんですよ・・・」

とくる。また私も、

「そこを分からないって言われたら・・・、だから、たくさん見合いましょうって思うんですけど・・・」

と、半ば呆れて返してしまった。


会議後、ある先生が私のところに来て、

「こういうのって、机上で語ってもだめだよね。『子どもの姿』で語らないと分からないよね。だから、授業を見合わないといけないよね。私は先生の考えに全面的に賛成だよ。」

と言ってくれた。

そうなのだ。まさしく、私が考えていること。冷静さを失い、ついつい攻撃的になってしまう。だから、上手く伝わらないのだ。

もっと冷静でありつつ、心は温かくないと、組織としてう上手くいかないんだなと感じた。


この、第2ラウンドは、この味方になってくださった先生にノックアウトされた気がする。

ネット注文の落とし穴

昨年、ネットで娘の自転車を購入した。幼稚園の年少の頃から乗っていた自転車であったため、上半身だけヌゥッと上に出ていて、ハンドルを持つ手は下に下がる。乗っているバランスが悪くてかわいそうだった。

いろいろなサイトを見て調べてみた。娘が好みを見つけ、ほしい自転車を選んだ。乗れないのではかわいそうと、サイズをちゃんと調べる。ウェブ上の説明では、対象が「小学校低学年から」となっていた。少し大きいかもしれないけれど、娘は大きい方だし、サイズも「低学年から」とあるため「そこまで大きすぎないだろう」「長い目で見れば、長く乗れるだろう」と思い、注文した。

届いてみると、

「大きすぎる」

少し大きいどころじゃない。またいで見て、爪先もつくかつかないかである。

「これ、乗れる1年生、いるの?」

というくらい大きかった。

「低学年」。これは「大き目の2年生」のことだったのかと、買ってみて途方にくれた。娘も恐がって乗りたくない様子。どうしようもなかった。


ということで、結局今までの自転車を乗り続けることに。友達と自転車で遊ぶ姿を見ると、不憫でならなかった。娘は一言も文句を言わず、それでも楽しそうに乗っていたが。


今日、新しい自転車に乗ってみないか誘ってみた。
すると、

乗れてるではないか!確かにまだ大きくてスムーズに発進できないが、少し練習すればなんとか普段乗る自転車にできそうだ。
娘もうれしそうだった。


やっぱり、実際に商品を目で見て、確かめてから購入することの大切さを感じる。
品揃えもよく、すぐに届くネットショッピングは便利だ。しかし、店頭での購入よりも購入者の責任は大きいように思われる。

サイズもそうだが、色合いもウェブ上のものとはちがかったり、保証やサービスも違かったりする可能性もある。

下調べをしっかりと入念にしないといけないことが分かった事案である。

初めてのことを特別な時にやるのは危険

今日は娘の学校の土曜参観日。

いつもながら、残念だなぁと思ってしまう。

娘の担任に対する私の感情が、ハナっからよくないため、あらゆることがマイナスに見えてしまうということもある。これはよくないこと。娘の担任の良いところをもっとみつけなければと思うがなかなかそうはいかない。マイナスに思い過ぎている。苦情など伝えないが、自分で「モンスターペアレント」かもしれないとまで思ってしまう。

私の中で「ゴーレム効果」を引き起こしてしまいそうで尚更恐い。

http://www.truth-teacher.com/entry/2017/02/07/202356


今日の授業は英語。

昨日の夜、娘が、

「明日の英語は『〇〇先生』(ALTの先生のこと)がいないんだよ」

と、言っていた。

英語。どうしてもALT任せになってしまいがちだ。これは、どの学校にも起こり得る大きな問題。教科化を迎えるにあたり、喫緊の課題である。

がしかし、今回は別の視点から考えてみる。

私は少しの期待を込めて娘に聞いてみる。

「『〇〇先生』がいない英語もやってるの?」

娘は、

「やったことないよ。明日、先生だけの英語は初めてだよ」

とのこと。私は、

「やっぱり」

と、少しの期待を込めたことを後悔する。


授業参観は、教師もそうだが子どもたちにとっても特別な日である。
また、保護者にとっては、普段の子どもの様子を知るいい機会でもある。

なのに、今までやったことがないことを、この授業参観でやるということが信じられない。

そんなに自分の授業に自信があるのか?そうであるならば、もっと子どもたちをよく見てほしいと思う。娘は直接的な言葉にこそしないが、その背景にある思いを見取ると、結構な不満をもっているように感じる。


それに、子どもたちにとっても保護者にとっても、失礼なんじゃないかなとも思う。本当にその授業で子どもたちのいつもの姿が見られるのか?授業参観なのだから尚更緊張もするだろうし。


という感情をもって参観しにいく。

その結果。

今日は「野菜」の学習。お店屋さんとお客さんに扮してやりとりをする授業。
うーん、やっぱりよく分からなかった。娘のやる気のなさもあるかもしれないが、とにかく先生がよくしゃべる。

職業柄、そういう見方をしてしまうのもあるかもしれないが、結局何を学ぶ時間だったのかよく分からない。
野菜の英語での言い方を覚えるのか、注文の仕方を覚えるのか、お店屋さんの対応の仕方を覚えるのか、はたまたすべてなのか。様々な野菜の英語での言い方を始めにたくさん練習していたからやはり、それか。それにしては、子どもたちはみんな『tomato』を注文する(簡単だからだと思う)。そこに先生の手立てが入らなければならないと思う。だから、普段やっていないとできないのである。

とにかく、子どもたちに活気がない。それは私の見方がそうなってしまっているからか。


でも、悪い見方だけでは自分としても嫌だ。いいところも探す。

いいところ。教室の掲示かな。子どもの作品や子どもの作ったもの(かいたもの)で学びの様子が飾られている。
これを上手く生かせばいいのになぁ。。。

まずい!やばい!どうしよう!

このようなメッセージが届いてしまった!


やばい!

どうしよう!

家の電話でかけた方がいいかな?

携帯だとまずいかな?

やっぱり公衆電話の方がいいかな?

まずはメッセージで返してみた方がいいのかな?

とにかく、早く連絡して代金を払わないと訴えられてしまう!

よし、今すぐ連絡だ!































って、なるかーーーっ!!!!!


このメッセージ、おかしすぎるだろ!さすがに引っかからないぞ!!


まず、こんなに重要案件をスマホのメッセージ(sms)で送っていいのか⁉︎
だめだよね?いい加減すぎるだろ!
もし、本気で代金を回収しようとしているのであれば、愚の骨頂である。企業として問題ありだぞ!

でも、そんなことをする企業はまずないだろう。アホすぎる。

つまり、詐欺ということであろう。


次に「Amazonサポートセンター」の名でメッセージを送るというのも疑問。「サポートセンター」ってそういうことするところ?あくまで、消費者(お客様)をサポートする立場であり、このような「請求」に絡むようなことを自らやるのか?
「カスタマーセンター」ならまだ分かるかもしれないが「サポート」する部署が、消費者を不安にさせてどうなる?ちゃんと「サポート」しろよっていう話。
やはり、本気だとしたら、愚の骨頂。無論、Amazonさんがそんなことをするはずがない。

ということで、つまり、詐欺であろう。


このメッセージ。ネットで調べてみると、よくあるメッセージのようだ。「詐欺」として注意を促すサイトがたくさんある。
逆に考えると、送られてきている人もたくさんいるのだろう。そして、不安になって連絡をしてしまう人もいるんだろうな。最初から「払わせる」のではなく、この「連絡をさせる」というのが実にいやらしい。負の連鎖をあおるのであろう。


ともかく、こういうことをしなければ生きていけないようになってしまうのも悲しい。教え子たちがこんなことをしなくても正々堂々と生きていけるようになってほしいと切に願う。そのために我々ができることは、勉強を教える(この「教える」という表現には抵抗があるが)だけではなく、私という人間を通して「人となりの在り方を学んでもらう」ということだと思う。
それだけ責任のある仕事だと改めて肝に銘じたい。


しかしながら、このような詐欺は増える一方。新手の方法もどんどん増えている。未熟さにつけこまれ、何も知らずに受け子として加担してしまっているケースもあとをたたない。悲しい世の中である。

このような被害にあわないような指導も必要な時代なのだろう。

あぁ恐い。

大人になっての変化

気がつくと30代も半ば過ぎ。40代に入るのが現実味を帯びてきている。中年になり、自分の体にも変化が見られるようになってきた。今回は睡眠の面と食の面から体の変化について述べたい。

朝の起床について

私は小学生の頃、朝起きるのがとにかく辛かった。眠いから。なので、

「この辛さが、中学、高校と続くのか・・・」

と、毎日のように思っていた。

そして、中学生、高校生になると、朝の眠さはひどくなるばかり。そのころは、

「この辛さが、就職しても続くのか・・・」

という思いに変わっていった。土日は、好きなだけ寝ていた。お昼近くまで寝ていても平気だった。お昼寝の気持ちよさも知った。


そして現在。

不思議と朝起きることに対する辛さはなくなっている。あんなに朝、起きるのが嫌で嫌で仕方がなかったのに、今では遅くまで寝ていられなくなった。仕事に行くという憂鬱さはあるが、朝、5時を過ぎると目を覚ましてしまう。
土日も同じ。休みだからたくさん寝ようと思っても寝ていられない。やはり5時を過ぎると目を覚ましてしまう。


年をとると(この場合はおじいちゃん、おばあちゃんになることだとおもうが)、寝ていられなくなると言われるが、少しずつそういう段階に入っていくのだろうか。

食について

私はいわゆる「痩せの大食い」だった。いくら食べても太らない体質だった。
高校生のころは、毎日お弁当とともに、売店で「カステラパン」を買って食べていた。就職したてのころは、退勤した後「大勝軒」の『チャーシューつけ麺大盛り』を食べ、家に帰ってからまた夕飯を食べても全然平気であった。それでも体重は一定を保っていた。

しかし、今は違う。食べたら食べるだけ体重が増えていく。びっくりするくらい増えていっている。しかも落ちない。1番軽かった時と比べ、15kg近く増えている。


しかし、ここで恐ろしいのは食べる量は減っているということだ。「大勝軒」のつけ麺は『チャーシューつけ麺』だと『中盛り』も苦しい。本当に食べられなくなった。でも、食べる量は減っているのに、体重は増える。

代謝が落ちているというのはこういうことなのであろう。今、身をもって感じている。

若い時とは違う

少しずつ少しずつ、体に変化が現れてくる。しかし、少しずつであるため、なかなか意識できない。気がつくと、寝ていられなくなっていたし、食べる量も減っていた。体重も増えっぱなしである。

年齢を重ねるにつれ、行動や生活スタイルもそれに合わせたものにしていかなければならないのを感じる。それは、若い時よりもっと動かなければならないということもあるし、疲れの取れ具合も違うから、休息のスタイルも意識しなければならないのもある。


もうアラフォー。素敵なアラフォーでいられるために、自分自身を見直していかなければならない。

学級ルールについて

学級には様々なルール(学級独自の決まり)がある(場合が多い)。今日は、そんな学級のルールについての記事。

様々な学級ルール

今までにしたことがある、また聞いたことがあるルール

1前方からは教室に入らない

2シャープペンは禁止

3ペン類は禁止(赤青エンピツのみ)

4授業中は筆箱を出さない

5給食の苦手なものも一口は食べる

6給食は始めに牛乳を一口飲み、次に汁物に手を出す

76とは逆で、牛乳は最後に飲む

8発表するときは、椅子を入れる

9挙手は右手

10朝の動線が決まっている(例:①教室に入る。②ランドセルを下ろす。③荷物を机にしまう④宿題を出す。⑤水やりをする。など)


等々、いろいろなルールがある。

それらの学級のルールについて、以下の3つの視点で少し深く見ていきたい。

そのルールの目的は?

ルールがあること自体は大切なことだと思う。集団づくりにおいて規律ある学級にすることはやはり必要。

しかし、それらのルール。必要性や目的を説明できないルールや、教師によってその目的が違うルールも数多くあるのではないか?

例えば、上の1のルール「前方からは教室に入らない」について。

私の担任するクラスでの出来事。
昨年度のはじめ、前方から教室に入ってきた子どもに、ある女の子が「前から入っちゃダメだよ」と声をかける。理由を聞くと「前は先生方が入るドア」だとのこと。どうして「前は先生方だけ」なのか聞くと、理由は分からないとのこと。

子どもたちは、目的の分からないことをルールとして受け入れ、守っていたのである。これがどういうことを引き起こすかというと「形骸化」である。つまり形だけ。形だけだから、教師が見ていなければ守らなくなる。

私は理由を見いだせなかったため、そのルールは無しにした。


それ以外でも、上に挙げたルールの中でなぜなのか分からないものも多い。内容は置いておいて、教師がルールの目的をもっていなければならないし、その目的をしっかりと子どもたちにも伝えておかないと、必ず「形骸化」する。

どんなよさがあるの?

どんなルールでも「よさ」がなければ、やる意味がない。

例えば「シャープペンは禁止」のルールについて。

このルールを守ることによって、
「『カチカチ』うるさくなるのを避けられる」
「授業中気にするのを避けられる」
「鉛筆を使うことで、筆圧よく、正しい字を書くことにつなげることができる」
などのよさを、私は見出している。

そして、それを子どもたちに伝えている。

そのよさを感じられれば、子どもたちは自ずと守るのではないか。

誰の都合?

最後に「そのルールは誰のためのものなのか」ということを考えたい。

例えば、上記の9の「挙手は右手」のルール。
このルールはよく分からなかったが、自分なりに「よさ」を考えてみた。「みんなが右手を挙げれば、教師は見やすいし、数えやすくなる」というのはあるだろう。

でも、これは完全に「教師の都合」であって「子どもたちのため」ではない。そうなると、子どもに無理強いをしているのにつながる。とともに、子どもたちには「よさ」が伝わらない。


また、10の「動線」についてのルールも考えてみる。

その中で「水やり」というのもよく見るが、これについても「誰のためなのか」を考えたい。
確かに、水やりをしなければ、植物は枯れてしまう。「枯れてしまったらかわいそうだし、観察ができなくなるから動線にしてみんなにやらせたい」というのは分かる。しかし、これは「子どもたちの都合」のように見えて、実はそうではない。もしかすると「教師の都合」なのかもしれない。
「枯れてしまったら、枯らしちゃったと思われる」とか「枯らしちゃったら、親からクレームがでる」とか「夏休みに観察できないと・・・」とか。
でも、もっと先を考えてみると「水をやらなければ枯れる」ということを感じさせることだって大事だと思うし、元気がなくなってきたら「もっと水をやらなきゃ」といったように、自分の育てているものに愛着だってわくであろう。逆に、この先生から離れたら自分で栽培などできるようになるのか?

そういう目線で見てみると、なんでも機械的に動くことも危険なのである。

「自分で考えて、自分の中で最善の行動ができるようにすること」も大事なこと。低学年では動線も必要かもしれないが、徐々に主体性を出させることも必要である。
それが「子どもたちのため」なのではないか?

まとめ

以上、3つの視点から「学級ルール」について考えてみた。書きながら思ったことは、この3つは深く関係しているということ。ルールをつくる上で、そこに「目的」と「よさ」がないとだめだし、その目的とよさの「対象」が子どもたちでなければだめなのである。

これをふまえて、もう一度学級のルールを見直していきたい。