しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

嫌な自分を感じる時

自分自身の行動がすごく嫌に思う時がある。

一言でいうと、人を見て態度や行動を変えている自分である。


学年末の今、通知表の作成に追われている。保護者向けの通信文(所見)を書くのだが、学年の先生方同士で見合って「直し」を入れ合っている。今、その時の自分が嫌なのである。

主任の先生と初任の先生の文章を見る際、違う見方(というより直し)をしてしまっているのだ。確かに文章の上手い下手はあるのだが、主任の文章に対しては、明らかに甘い見方をしている気がする。年上の先生で自分より経験もあるからという思いもある。一方、初任の先生の文章に対しては厳しく見ていると思う。初任の先生は、これから先が長いし、多くを吸収してほしい、勉強してほしいと思って朱を入れているというのは確かだ。でも、主任には朱を入れづらく、初任の先生には入れやすいというのも事実。

主任には「厳しく見てね」と言われるが、なかなかそうもいかない自分がいる。これは、授業案の時も同じ。誤字脱字の直しばかりで、文章のつながりやズレなどはスルーしてしまいがちだ。前任校では、年上だろうが年下だろうが、年数が上だろうが下だろうが、気付いたら朱を入れてたのに、今では、尻込んでしまう。学校や職場の雰囲気ぐ変わると、自分の在り方もこうも変わってしまうのかと思うと、なんだか情けない。


こんなことを考えたきっかけは、初任の先生のを見ている時。

意地悪な私は、初任の先生の所見を見る際、こんなことを聞く。

「誤字脱字だけにする?じっくりにする?」

と。私はお便りでも通知表でも授業案でも、公的なものは結構細かく気にしてしまうので、いつも朱だらけにしてしまう(このブログもちゃんと見直せと思うが)。なので初任の先生は、本当は誤字脱字だけにしてほしそうな雰囲気を醸し出しつつ迷っていたが、ここで主任の

「じっくり見てもらいな」

という一撃。あえなくじっくり見ることになり、直し始める。直しながら「初任の先生はどう感じているのだろう」と思ってしまった。そこで嫌な自分に気づくのである。

ただし、自分としては、最低限の礼儀として、主任であろうと初任であろうと、直す時は対案を考えて、載せておくようにしている。その案を使うか使わないかの判断はすべて任せるようにしている。

気がつくと、経験を積む(年数が上がるだけでも)と、指摘されなくなってくるのも事実。この狭間で、中堅の自分は信念をもって動かないといけないのだろうな。


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