しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

家庭学習の様子から考えたこと

家庭学習の内容に大きな差が見られる。
学年として合わせて、自主学習という名の宿題を出している。
子どもたちがやってくる学習の中身から考えられる、子どもたちの家庭学習、取り分け「自主学習」に対する思いを考えてみる。

考えられる子どもの思い

①自分にとって、必要なことができる

この思いで取り組んでいる子はほとんどいない。でも、6年生としては、この段階まで到達させたい。しかし、この思いで学習する子どもの内容もなんだか物足りない。


②宿題の一部だからやらなければならない

この思いの子どもが一番多いと思う。自分からというより、義務感でやっているのであろう。学習習慣はみにつきつつあるも、時間的にも足りない傾向が強いし、内容面もあまり意味をなさないものが多いのが現状である。


③やればいいんでしょ、やれば

これは、②に似ているが、もっと義務感が強い。なので計算を1、2問だけとか、画数の少ない漢字をノートに大きく4つくらい書くだけなど、2、3分で終わるような内容だったり、よく分からない国の国旗をたくさん書いてくるような、結局時間をかけているような内容だったりと、残念なものが多い。自主学習が課題じゃなければ絶対にやらない子どもたちである。

そこから見える課題

①やり方が分からない

勉強したくても、何をやっていいのかが分からないというのがある。自分にとって、何が必要なのか客観的に分からないのである。


②こなすだけの自主学習になっている

勉強はしなければならないとは分かっているが、だからこそ「とにかくやる」「とりあえずやる」だけになっている。


③とにかくやる気がない

これに関しては言葉通り。「遊びたい」「ゲームがしたい」はもちろんだが、ただ「勉強がしたくない」が強く、他に特に何をしたいわけではない子どもも多いようだ。そういう子どもは、スマホタブレットで「動画を見て過ごす」ことも多い。

課題から共通していえること

結局「学習する意義」や「学習したことに対する意味」を見い出したり、味わったりしていないんだろうなと思う。

子どもの「何で勉強しなきゃならないんですか?」という質問に、教師が自信をもって答えられるかに一つのヒントがあると思う。

私が今まで子どもたちに答えていたのは
「今ならまだ何にでもなれる。医者にも政治家にもなれる。今はサッカーの選手になりたいと思っていても、生きていくうちに医者になりなくなるかもしれない。政治家になりたくなるかもしれない。だから、何にでもなれる自分を残しておくために、勉強した方がいい」
と話していた。この考えは今でもそう思っている。しかし、齋藤孝先生の『こども「学問のすすめ」』を読んでみて、違う視点ももつことができた。この中に、

勉強は自分のため、そして世の中のためにするんだよ

という一節がある。
なるほどなぁと思った。確かにみんな勉強しなければ日本はつぶれる。そこまで大きい話ではなくても、勉強をして分かったことや身についたことが、他の人や環境に役に立ち、それを実感することができたら、素直にうれしいと思う。自分の「自己存在感」や「自己有用感」を感じることができるだろう。

よりよい社会(学校や地域、家庭など)の形成者の一人になれるっていうことを目指した学習(家庭学習に限らず)に移行できれば、まだまだ遠いが一歩先に進めると思った。そして、自分のやりたいことや自分に必要なことを見い出すことができたら、学習も楽しくなるのだろうなと思う。

どうしたらそういう意識をもたせられるのか?「〜させる」という感覚から抜け出さなければいけないのだろうな。

こども「学問のすすめ」

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おとな「学問のすすめ」

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