しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

察して動くということ

今日は中学年(3、4年生)の体力テスト。体育館での種目については、事前に準備ができたのだが、校庭での種目については、雨や休日のスポ少の関係でラインを引くといった準備ができなかった。

ということで、朝、ラインを引くことになっていた(金曜日、出張で1日いなかったため把握していなかった)。準備をしながらそこで思ったこと(愚痴)を述べたい。

校庭でライン引きをしたのは5年生の体育主任と5年生の初任者の先生、6年生の2年目の先生、3年生の体育部の先生、そして、私の5人。


おかしいと思わないだろうか?

そう、4年生の先生が誰一人出ていないのだ。自分たちがやるのに、誰も準備しないというのが理解不能。体育部の先生すら出ない。体育主任や若手がやって当然のような気持ちなのだろうか。

そこで気になるのが、3年目の先生。

上の記事に登場する3年目の先生こそ、4年生の先生の一人。若手なのに。まぁ、若い先生はやらなければならないというのはパワハラかもしれないが。。。でも、若手こそあらゆる校務を知るために「動いてなんぼ」ではないか。

体育主任が「声をかけなかったからなぁ」と言っていたが、自分たちが今日体力テストをやることなど、知っていたはずだ。そういう時に言われなくても「察して動く」ことができるかできないかは、仕事ができるかできないかにおいて非常に繋がるものがある。若い時ほど重要な仕事がない分、動いて仕事を覚えて、次の学校に行った時、今度は主任として恩を返すように動くのである。仕事が少ないのはそのためだと思っている。

その点、初任の先生と2年目の先生は本当に動いてくれる。覚えようとしてくれている。今日だって、何も言われていないのに、今日は中学年の体力テストなのに自分から進んで準備に参加していた。こういう姿が、後々に必ず生きてくると思っている。だから、この2人には、いろいろな研究会や研修会でもらってきた資料を見せたりあげたりしたくなる(いらないかもしれないが)し、いろいろなサポートもしたくなる。


「察して動く」。そういう自分は初任の時できていたであろうか。今は、そういう意識で働いているから、自分なりにはできていると思う。15年近く前のことを正確に振り返ることはできないが、初任校で覚えたことを使ったり、応用したりしながら動くことはよくある。だから、初任校で学んだことは自分のベースを創り上げていることは確実だ。だって急にできるようになるはずがない。


「もっと動くように」と若手の先生に言うことはできないが、自分がしっかり動いて、手本となれるようにしていきたい。そして、それを見て動いてくれる先生(初任や2年目の先生のように)が出てくれるとうれしい。だから、明日もライン引きを率先して行う。というか、明日は高学年だから、動いて当然か!