しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

プラスαが認められているが・・・

我々教師の仕事は、比較的自分の好きなことを取り入れてもよいとされている。授業にゲーム形式を取り入れたり、教師自身の経験を盛り込んだり。いわば「創意工夫」というものである。その「創意工夫」が「その先生の指導力」になってくるのであろう。
それは、教材研究に裏付けされるものであり、教科書の読み込みや文献による学び、そして実生活の生かしやアンテナの高さなどでなされるものだと考える。

しかし、その「創意工夫」はあくまで「プラスα」だと思う。「基本のキ」ができていてはじめて「創意工夫」になる。そのことが抜けてしまいがちだなと最近思う。


創意工夫して、楽しい授業にする。
しかし、たとえ楽しい授業であっても、本質をついていなければ、育てるべき資質や能力は育たない。


初任の時に言われたことがある。
「教科書をしっかり教えられてはじめて、いろいろと自分なりの指導に変えられる」
的なこと(本当はちょっとだけニュアンスが違うのだが、一般的には言いづらいので、少し言葉を変えた)。

つまり、教科書の内容こそ本質をついていて、その本質を教師が理解しなくては、いくら独自の方法を試しても、本質から外れてしまうということだろう。そのため、基本をしっかり身につけようということ。


この教師の仕事の「プラスα」は別の視点からも似たような見方で考えることができる。
それは「自分に与えられた仕事をこなしてこそ、自分の創意工夫に手を出せる」ということ。

残念ながら、自分の校務分掌(組織の中で与えられた仕事)をこなさない教師もいる。

例えば、放課後の特設活動。指導者に名前が入っていても、指導に出てこない先生が数名いる。その先生が何をしているかというと、堂々と自分のやりたい仕事をしているのだ。教材研究だったり、雑務だったり。
しかし、それは「創意工夫」とは言えない。やはり、自分に与えられた仕事こそ「基本のキ」なのではないか?「他に指導する先生がいるから自分は指導しなくてもよい」とでも思っているのか。

子どもたちが自分の当番の仕事をせずに、好きなことをしていたとしたら、どんな指導をするのだろうか?でも、上記の先生は、その子どもに指導する権利はないし、指導したとしても説得力をもたない。子どもたちはよく見ているものだ。そして、感じるのである。だから、指導したとしても、子どもたちはうわべだけしか聞かないだろう。そして暗に「めんどくさいことはやらず(もしくは、いいかげんにこなし)、やりたいことだけやっていいんだ」ということを教師から学び取っていくのである。


やはり大事なことを見落としてはいけない。
それは「本質を捉えること、そのために基本を大切にすること」また「与えられた仕事をこなすこと、そのためにいつでも謙虚に誠実でいること」なのではないだろうか。