しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

何を見取り、どう動くべきか、それは寄り添うということ

1学期終了の時期。3学期制の学校の教員たちは評価に追われているのではないか。

そこで気になること。どこの学校の教員というわけではないが、子どもの何を見て何を評価しているのかわからない教員がいる。簡単にいうと、評価のための評価をしているということ。教員の都合よく評価してしまっていないだろうかという懸念がある。もっというと、
「評価の仕方が分からない」
のだと思う。

どの学校でも、通知表を作成すると思うのだが、今学期の子どもの学びを連絡するのが通知表。普段子どもの学校での姿が分からない保護者の方々に、学校でのお子さんの姿を伝えることが必要だと思う。そして、長期休業中に家庭でも子どもの実態を見つめた上で、学校、家庭双方に必要なことを見つめていければ1番いい。

ということは、当たり前だが「その子ども」の評価がないといけない。誰にでも当てはまるような通信文はいらないのだ。だから、毎日しっかりと子どもたちを見ていないと(見取っていないと)書けるはずがない。正直、私も毎回悩むお子さんがいることは確かだ。その度に反省する。


普段の子どもの見取りは、教育活動の命だと思う。毎日全員は正直無理だが、子どもが何をして、何を思い、何を身につけ、何が変わったかを意識しないと、教師の存在意義が問われてしまう。それこそ、AIに変わられてしまう。
子どもの困り感を見取れるのが、教員。それこそ、塾の先生ではない、学校の教員の重要な責務だと思う。
なぜ今、そんなことを考えたかというと、あるブログを読んだから。

子どもの困り感は親の困り感。しかも、このブログの方の困り感は目に見える困り感。解決できるできないは置いておいて、それに寄り添えないのは教員失格だと思う。


1学期が終わる時期だからこそ、もう一度自分自身の子どもの見取り方を見つめ直したい。