しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

先生はなんでも知っている?

今朝、息子とゴミ捨てに行っているにふと思い出したこと。


ゴミ捨て場までの道のり、いろいろな植物を見つける。
穂を出し始めた稲。いろいろな色の薔薇の花。猫じゃらし。名も知らぬ草花たち。やはり歩いてみないと気づかないことばかり。
息子も「これは薔薇?」「猫じゃらし、とって」「この花は何かな?」「カボチャなくなったね」などと口にする。


私は「植物」に関する知識が他のことと比べるとかなり乏しい。子どもの頃に植物との関わりをあまりしてこなかったからだと思う。私の祖母は大の植物好きで、家の庭は花でいっぱいだった。そのため、植物と関わる機会はたくさんあったはず。今思うと実にもったいなかったなと感じる。

4年前、生活科や総合を学び始めたことで、植物についても少しずつ知識を得てきた(と思う)。
色水が出やすい花。花びらだけを取ればまた、花びらが出てくる花。ほったらかしでも育ちすぎる花。いろんな花があって面白いなと感じた。だからこそ、子どもと散歩する時はできるだけ自然に目を向け、それらを話題として楽しむようにしている。


さて、タイトルについての話。
それは、6、7年くらい前。家を建て、越してきたばかりの頃のこと。近所にIさんという方がいる。とてもいい方で、越してきたばかりの私たちにいろいろなことを教えてくださったり、息子にカブトムシの幼虫をくださったり、いつも野菜をくださったり。今でも何かとよくしていただいている。

その奥さんに、ヒヤシンスの球根をいただいた。先述の通り、私は植物に関してあまりよく知らなかった。そのため、育て方についてよく分からない旨を伝えた。すると
「学校の先生だよね?」
と言われた。その裏には確実に「学校の先生なのに知らないの?」という意味合いを含んでいる。


この奥さんを嫌に思っていることは全くない(本当によくしていただいているので)。私が感じたのは世間一般に見たとき「教員はなんでも知っている」と思われているんだなということ。確かに、児童生徒に何かを「教えている」としたとき、なんでも「知っている」に繋がるのは自然のこと。特に小学校の教員ならば尚更かもしれない。


前任校では、我々は「『研究家』ではなく、『実践家』だ」とよくいわれてきた。あれこれと考えたことを実践して考察していくのである。
しかし、こういう体験から考えたとき、ある程度の知識や技能、専門性をもち合わせていることも大切なんだと感じる。

やっぱり、知らなくて損することはあっても、知っていて損することはないんだろうな。。。と、改めて思い返した朝のゴミ捨てであった。