しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

恥ずかしさの感覚とズレ

今日は2学期の始業式があった。夏休み中、大きな事故もトラブルもなく、みんな元気に登校できたことを嬉しく思う。


さて本題。始業式の後に夏休み中の諸行事等における賞状伝達があった。よく上がる課題として「返事」の仕方がある。まぁ、つまり返事の声が小さいということだ。


なぜそうなってしまうのか。いくつか理由はあるとみえるが、大きな理由の一つに「大きな声をだすのが恥ずかしい」ということがあるようだ。


「周りからどう見られるか」ということを人は気にするものだ。それは極々当たり前。だから、おしゃれにも気を遣う。人の目を気にしながら前に出たり引っ込んだりもする。

それがマイナスに働くことも多いのだ。それが、自分と他者の感覚のズレである。「大きな声で返事をするのは恥ずかしい」というのが自分の感覚。しかし、恥ずかしさのため「聞こえるか聞こえないか分からないくらいの中途半端な返事」を、他者から見ると「何だあの返事は、かっこ悪い」という感覚になる。「恥ずかしい」と思ってやっている行動が、逆に「とんでもなく恥ずかしい」ことをしているということになるのだ。

しかし、残念なことに、それに気付いていないのである。
実際、今日も小さな返事だと、周りの先生方は首をかしげているし、周りの子どもたちからも変に注目されている。


これはいろいろな場面で見られる。例えばダンス。人前で体を大きく動かすのが恥ずかしいため、申し訳無さ程度に踊る。でも、それが逆に大目立ちになっていることがよくある。それはそうだ。周りの子は一生懸命踊っているのに、自分だけが踊っていないのだから、周りはそんな自分に目がいって当然だ。

「人に見られるのが『恥ずかしい』」のに、逆に「かっこ悪い姿を『見られている』」のだ。ここにも「感覚のズレ」が生じている。「ちゃんと踊るのが恥ずかしい」自分と「ちゃんと踊らずにかっこ悪い踊りに注目する」他者である。


これは、気付かないと直せないことであるし、気付いても自分で意識しないと直らないことでもある。「目先だけのちっぽけな恥ずかしさ」ではなく「広い視野から自分を見つめた上での恥ずかしさ」を考えていかないと、本当の意味で「恥ずかしい」思いをしてしまうんだろうな。