しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

意欲的な姿とは

今、家庭科でミシンを使い「トートバッグ」を作っている。ミシンを使った学習ではいつも出てくる問題、それは、

ミシンの数に限りがある

ということ。どうしても班に一台程度になってしまい、交換交換やらざるを得ない。ただ、友達がやっているのを見るのもいい学習で、友達の工夫のよさや、失敗を自分に生かすことだってできる。


しかし、今日の家庭科では数名、ほとんどミシンを使うことなく授業を終えてしまった子どももいる。つぶやきや様子からは「順番が回ってこなかった」ということのようだ。周りの子ばかりやっていて、自分に回ってこなかったということに思える。

では、周りの友達が悪いのか。決してそうともいえないと思う。よくよく周りを見てみると、少ない数ながらも、子どもたち同士で工夫したり譲りあったりしながらうまく回しているのだ。同じ班でなくても、空いていそうな班のメンバーに声をかけて、使わせてもらっている子どもだっているし、自分は少し遅れているからと「次、私に貸して!」と人を押しのけて(あまりいい言葉ではないが、その位やる気があるということ)ミシンに取り組む子どもだっている。

では、自分からどんどんアピールできる人じゃないとダメかというと、これも決してそうではないと思う。友達が「次、貸して!」と言ってきても「次は○○君の番だから」と、別の場所で作業をしている子どもに譲ろうとする姿も見られる。

なぜ、自分にはミシンが回ってこないのか。それは、その子たちの雰囲気に見える「意欲」なのかもしれない。その子たちは、ミシンを待っている時何をしているのか、それは他愛もない話をしたり、髪の毛を気にしたりしているのだ。つまり、回りの子どもからは「ミシンをやろうとしていない」ように写ったのかもしれない。子どもってよく見ているんだなぁと感じる。


私はそれに気付いていたが、あえて直接声をかけずにいた。その子の「家庭科の」学びは薄かったかもしれないが、違うことに気付いてほしい思いがあった。「意欲ある姿」は、実際の言動だけでなく、雰囲気、時には厚かましさ等々、いろいろなところに見えるものだなぁと思った。