しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

(個人的な)研修のまとめ

ただ今大阪。明日には家路につく。

長かったようで短かったような旅行、もとい、研修。研修のテーマについての学び以外にたくさん学ぶことができた1週間であった。仕事面、生活面、私的面等々、忘れないうちに書き記しておこうと思う。

仕事面

仕事面。新たに学んだことや考えたこと、そして改めて感じたことがある。

指をつかって計算する子ども

私は先方の学校で4年生に配属され、朝を過ごしたり給食を食べたりした。そのクラスの担任の先生がおっしゃるには「このクラスは、他の学年に比べて、学力が高くないんです。そして差が大きい。そこをどうにかしなければならないんですが・・・」とのこと。私からすると、決してそうは見えなかったのだが、わり算の筆算の問題を解く際に、指をつかってひき算をしている子どもがちらほら。一見学力が高そうな子どもも(この場合の学力は、勉強ができるというニュアンスが大きい)指をつかっていた。はじめは、担任の先生がいうことは、こういう場面のことも一つの理由かなとも考えたのだが、もしかしたらそうでもないかもと考えるようになった。

それは、どう考えてもレベルの低い指遣いでないのだ。まずは速い。パパっと指で計算して(?)すぐに答えを書いている。ゆっくりと一つずつ指を折って数えているのではないのだ。
そして、もう一つ。繰り下がりの計算を指でしているのだ。どうやっているのかは分からないが、確かにやっている。

今までは計算できないから、指をつかわないと答えが出せないから指を使うものだとばかり思っていた。しかし、そうと決まったわけではないのかもしれない。自分で一番の方法を自分で選択してやっているのであれば、それはまさしく問題解決能力だと思う。

一面的な見方では本当の子どもの姿を見取ることはできない。そんなことを学んだ。

やっぱり怒鳴るのはよくない

1週間もいれば、隠しきれない部分もでてくる。校長先生もおっしゃっていた。どうやら6年生に手を焼いているらしい。それは我々も感じたところだった。そこをみんなでサポートしなければということのようだ。

しかし、1週間様子を見させていただいた中で、誰一人として「怒鳴る」先生はいなかった。

もし、私の学校でそんな状態の子どもたちを見たら、怒号が飛び交うであろう。そうして、力で沈めるのだ。

私は怒鳴ることをやめた(たまに怒鳴るが)。以前は怒鳴って威厳を見せていうことを聞かせることが大事だと思っていた。でも、今では自分でもよく分かるほど怒鳴っていない。それは、怒鳴っていうことを聞かせても、本当の解決にならないから。そんなふうにされてきた子どもは、自分を出せない。何かしたら先生に怒られると思ってしまうからだ。だから受け身な子どもになる。そして、先生の見えないところで問題を起こす。

以前「怒鳴らないと子どもにいうことを聞かせられないのは、力のない証拠だ」といわれたことがある。まさしくそのとおり。

研修先の6年生の指導は大変かもしれないが、逆に考えると、のびのびと自分たちを表出している。先生たち(我々にも)にちゃんと見られているのだ。時間はかかるかもしれないが、いつか先生方の温かい思いに気付くのではないかと思う。

どの学年の子どもも(6年生も)、本当に無邪気で人懐っこかった。生き生きしていた。地域性や学校の規模もあるかもしれないが、先生方の温かさも一つの理由だと思った。

どちらがいいとはいえないが

その学校は、朝から全員で声を出して一日が始まる。朝の学習タイムの音読では、担任の先生のハツラツとした範読に続き、子どもたちのリピートがあり、計算の丸付けでも先生の解答に続き、子どももハツラツと繰り返す。とにかく朝から勢いがあるのだ。

正直私は朝はしっとりと始めたい派だ。でも、こういうやり方もあるんだなということも思った。何がいいたいのかというと「正解ってないんだろうな」ということ。勢いよく始めるのだって、しっとりと始めるのだってどっちもよさがある。でも、そこには意図がないといけないんだろう。自分は「一日を」「子どもたちを」「自分の指導を」こういうふうにしたいから勢いよく(しっとりと)始めるんだという軸がないといけないと思った。


長くなったので、仕事面のみ。それ以外は機会があれば書こうと思う。