しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

体育が好きというよりは・・・

私が子どもの頃と比べると「体育が嫌い」という子どもは少なくなったと思う。私が小学生の頃は、私も含め体育が嫌いという子どもが一定数いたのではないかと思う。今でも体育が嫌い、好きではないという子どももいるが、かなりの少数派である。私から見て運動が苦手そうに見えても、体育は好きという子どもも多い。それはなぜなのか考えているとき、ふと思ったことを記そうと思う。

けなす子、文句をいう子が少なくなった

私が小学生の頃は、運動ができる子がのクラスを牛耳れることが多く、とにかく運動ができれば地位が圧倒的に高くなる傾向があった。そのため、運動ができない子は、非難や文句の的になっていた。なので体育が嫌いな子が多かったのではないかと思われる。

今はとにかく優しい子どもが多く、運動ができなくてもその子なりのがんばりが認められるようになっていると思う。そのため、運動が苦手でも運動自体は好きな子が多いのではないかと思う。

ほとんどがゲーム的な内容

サッカーやバスケットボール、ソフトボール等々、教育課程に位置付けられている魅力的な教材。私にとっては嫌な教材だった。なぜなら、サッカーでは苦手なドリブルやパスの練習をやらされ、その後、得意な子どもだけが活躍できる試合になる。我々苦手組にとっては苦痛の時間だった。
しかし、今はゲームが主流といえる(ように思われる)。サッカーといえば、1時目から試合が入れられ、配当時数いっぱいゲームが楽しめる。しかも、文句をいう権力者もいないため、みんなが楽しめる授業なのだ。

しかし、これには大きな疑問が。これが体育科の授業なのかということ。基本的な動きを試したり、身に付けたり、動き方を知ったりする時間もなく、とにかくゲームばかり。確かに子どもはゲームがしたいし、教師側もゲームをさせとけば言葉は悪いが楽ができる、いわばWinーWinなのだ。でも、これって休み時間でもできるのではないかと考えるのだ。

体育が好きというよりは

よく考えてみると「体育が好き」というより「体育の時間が好き」ということであり、学んでいるかどうかはまた別の話なのだと思う。確かに私が子どもの頃のような、一部の子どもが活躍し、苦手な子どもが非難されるような体育の授業はダメだと思う。でも、みんなが認められるようになったからこそ「動き合う」ということに目を向けた授業にしなきゃならないんだろうと考える。