しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

何をもって「完成」とするのか

今年度の研究のまとめがほぼ完成した。あとは様々なチェックを残すのみ。31日水曜日に市に提出するのには間に合いそう。

では「完成」とは何をもって「完成」というのか考えてみる。

例えばプラモデルであれば、設計図通りに作り終えたら完成といっていいのか。これは、その人の感覚によるだろう。設計図通り作ることで満足したり、それを目的としたりしていれば「完成」といっていいと思うが、もっと違う角度から考えている人からすればそれだけでは「完成」ではないだろう。例えば、キレイに色も染めたいとか、かっこ良く飾ってこそ完成と考えていたり、はたまた戦いごっこをしてはじめて完成と認めたり。その人が考える「完成」の基準で決まるのだ。

また、図工の作品だったら、自分なりに満足のいく作品ができたら「完成」だと思う。しかし、いくらがんばっても満足しない子どももいるだろう。そういう子はいつまでも「完成」しないのか。それはちょっと違う気がする。それにいくら満足しても、条件に合わない作品だったら、いくら良いものができても「完成」ではないだろうし。そう考えるとやはり「完成」って難しい。


では、最初の話題にあげた研究のまとめはどうか。諸条件に合うように作成することはできる。私が満足する作品にもなる。でも、先生方全員が満足する作品には絶対にならないだろう。そこには、校長先生や教頭先生などの管理職の思いもあるし、そのハードルは高いからである。


実は今日一番いいたいことがそのことで、勤務する学校では、学校全体の研究のまとめと、初任者の先生の今年度の研究のまとめを提出しなければならない。初任者の先生のまとめはあくまでも個人研究であるため、私に責任はないが、もっと早くに話をしておきたかったと後悔しているのだ。というのも、その先生のまとめがなかなかあがってこなかったため、先週の木曜日に「いつ頃できそうですか?」と聞いてみた。すると「月曜日には出せそうです」という答えが返ってきたのだ。水曜日に市に持っていくのに、月曜日にあがってくるのでは、中身を詳しくチェックできないし、管理職にもしっかりとしたご指導がいただけない。結局、ほとんど推敲できないまま、提出することになってしまうのである。それに、管理職が月曜日、火曜日に時間があるかどうかも保証できない。となると、上のチェックがないまま提出なんてことにもなりかねないのだ。


では、その先生にとっての「完成」とはなんだったのか?それはおそらく原稿や資料を作って、ファイルに綴るところまでだったのかもしれない。こういう場合は学校自体の評価、指導教員の評価にも絡むため、必ず、ご指導をいただかなければならないのだが、それが分かっていなかったのだろう。

自分の構想通りいくこともそうそうないし、そうなると、自分の満足する作品にすることも難しいし、管理職も「もう少し・・・」となる可能性も高くなってしまう。でも、実際に見直したり直したりする時間をとるのは不可能に近くなってしまうだろう。


だからこそ、かなりの余裕を見越した計画とまとめ作業が必要になってくる。それをある程度伝えてあげとけば良かったなぁと思うのだ。そこは経験値。せっかく1年間初任者研修をがんばったのだから、できるだけ良いまとめができるといいなぁと思う。