しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

習熟度別学習

2月に入り、今月の算数の時間は学年を解体して、習熟度別の学習をすることになった。6年生の算数が、主な単元学習が終わり、算数のまとめの学習に入ったからということも、習熟度別学習にしようとした目的の一つである。

コースは4つ。「先生の力を借りずしても自分で課題に取り組めるコース」「一人である程度進められるが、先生がいないと不安もあるコース」「自分だけではなかなか難しいコース」「前の学年まで戻らないと課題解決が難しいコース」である。この4つのコースを担任4人と、理科を教えてくださっている分科の先生を加えた5人で進める。

コースを選ぶのは自分自身。教師側からそれとなく進めるパターンもあったが、自分の希望を優先させた。私の担当は「自分だけではなかなか難しいコース」。

数日間やってみて感じたことを記事にしたい。


それは「反応がない」ということ。子どもたちに何かをたずねても、自分のクラスの子以外、何も反応がないのだ。数を小さな順に並べる問題を考える際「0と1はどっちが大きい?」などという質問にすら反応しないのだ。そのため、このコースにきている自分のクラスの子とだけしか学習していないような感覚になる。

「いつも授業する人と違うから戸惑いもあるかもしれないな」と思いながらも、このことを主任に話すと「算数が苦手な自信のない子たちが選んでるんだから、反応しないのが当たり前だよ」とのこと。「なるほど」と思いながらも、大きな違和感も同時に感じた。

その違和感は「苦手なことと自信がないことは別問題だよな」ということ。また「苦手」と「自信」と「反応しない」も繋がってはいけないはずだとも思う。例えば「苦手だから反応しない」のならば『考えることの放棄』かもしれないし、「自信がないから反応しない」のならば『思いを表出することの放棄』になるかもしれない。

苦手であっても、苦手なりに考えがもてるはずだし、自信がないからといって思いを伝えることをしなければ、何も伝わらないし、何も分かってもらえない。

そもそも、どの教科領域でも言語活動が重視されてきたはずなのに・・・と感じる。「苦手」なりにどうするかとか「自信」がないならどうするかということを考えなければならなかったのではないかと思うのだ。

そのためには、何が必要なのか?苦手感を分かってあげる教師の見取りと温かさ?どんな自分も認め合える学級?


周りには恐い先生がいっぱいいるなぁ。。。自信がつくはずな・・・・・い、とはいいたくないなぁ。。。