しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

来年度の構想

ずっとモヤモヤしている。来年度の研究の構想。まだ今年度も終わっていないのに。

自分が考えていることと校長先生が考えてらっしゃることに隔たりはなく、考えていることを示したらおそらく後押ししてくださるだろうと思う。しかし、それを他の先生方にも分かってもらえるかどうかがかなり難しい。

それは分からなくはない。最近思うのは、先生方がやりたいことや、やってきたことは、結果がすぐに見える手立てが中心であり、ある意味曖昧じゃないため、取り組むことに安心感があるのだと思うのだ。例えば「ペア学習をすれば、話し合いが生まれる」とか「発展問題をやらせれば、上位児にも力がつく」とか。いわば、取り組むことが明確なのだ。

それに対して私が考えていることは、もっと原理的なところで、とっても曖昧である。例えば「子どもたちがやりたいことを課題にしましょう」とか「子どもも子どもを繋げる働きかけをしましょう」とか。でも、そういうことを提案したとすると「じゃあどんなことをすればいいの?」といった質問や意見が噴出するだろう。方法論が示されないと不安になるのだと思う。
でも、これに絶対的な答え(手立て)など無く、一つのことが、ある個や集団によっては正解でも、別の個や集団によっては不正解になることがある。だから、目の前の子どもに合わせた手立てが必要であり、だからこそ、もっと子ども(たち)を理解しなければならないのだと思うのだ。それこそが本質であり、それが土台となれば「この子は考えを全体に発表するにはまだまだ自信がなさそうだから、『ペアにして』まずは自分の考えを表出化させよう」とか「この子のつぶやきや自主学習などからは、もっと難しいことに挑戦したいという思いが見て取れるな。だから『発展問題』をやらせよう」などというように「その子に必要感のある」方法論があとから出てくるのではないかと思うのである。

これまでのような「教え方の法則」や「目的化した方法論」を探るような研究では「主体的・対話的で深い学び」にはならないだろう。


などといったことを、最近悶々としながら考えている。。。とにかく教師の発想力やセンスが問われるようになるんだろうな。そういうところは先生方が一番考えたくなく、人に見せたがらないところなんだろう。。。