しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

他人事ではないのかもしれない

こんなニュースが。

服装指導の一環として、基準にみたない生徒の頭髪を、同意を得て教師が切ったということである。

はじめにこのニュースを読んだ時、「まだこんなことやってるんだ⁉︎」という思いとともに、呆れてしまった。しかし、なぜ起こってしまったのかという視点で見てみた時に、考えたことがある。

まず、この先生たち「確信犯」(本来の意味の)なのかもしれないなと思うのだ。

確信犯(かくしんはん、独: Überzeugungsverbrechen - Überzeugungs:確信(による) Verbrechen:犯罪)とは、自分の道徳的・宗教的、あるいは政治的な信念に基づいて行われる犯罪のこと。

ウィキペディアより抜粋
つまり、問題となると分かっていて行っているのではなく、それが正しいと思って行っている犯罪行為であるということ。

教師の体罰が社会問題化され久しい。そんな中、例え同意を得たとしても、生徒の髪の毛を切るという行為が「体罰」であるということなど分かっているはずだ。でも、それ以上の信念が、当たり前のことを闇に追いやってしまうのではないか。

この学校、体育部の活動が盛んな学校のようである。もしかしたらこの先生たちは「服装や髪型、規律の乱れが、これまで積み上げてきたものを崩してしまうかもしれない」というような信念をもっていたのかもしれない。だとすると「学校をよくしようと思っていた」ということである。

となると、この先生たちのしたことは許されることではなく、管理職とともに厳正なる処分を受けるべきだと思うが、信念自体は間違っていなかったのかもしれないなとも思うのだ。(そんな信念もなく、ただ感情任せで行っていたとしたら、本物のバカ教師だが・・・。あ、でもいるなぁ、ただの憂さ晴らしをするかのように怒鳴り散らす人も・・・。)


「自分は正しい」という気持ちが強すぎると、時として周りが見えなくなってしまうことがある。もしかしたら、自分も冷静さを欠いてしまっている時があるかもしれない。・・・いや、確実にあるだろうな。

こういうことがなくなるようにするにはどうしたらよいか、、、

ひと呼吸おいて、ブログでも日記でもメモでも何でもいいから、考えていることや事実を書き留めておくのもいいかもしれない。「書く」という作業で、客観的に自分を見つめ直すことができる。

それから、やっぱり話すことだと思う。同僚でも家族でも、人と話すことで違う意見と出合うことができたり、感覚のズレに気付かせてもらえるかもしれない。


とにかく、教員の不祥事が跡を絶たない中、すべて「他人事」と思わないようにしないといけないと思った。