しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

「話しかけないで」と思う時

今日は床屋さんに行ってきた。格安のチェーン店。美容室に行ってちゃんと整える男の人もたくさんいるんだろうが、自分は格安店で十分。なんせ早い。

散髪している人(されている人?)たちの様子を見ると、床屋さんと話をしながら散髪している人がいる。仕事の話から、気候の話、家族の話など多岐に渡る。

私はというと、散髪するときは必ずといっていいほどすぐに目を瞑る。そして「話しかけるなオーラ」を出す。自分と関わりがない人と話すのがあまり好きではなく、特に散髪中などは「自分の世界にいさせてくれ」と思ってしまう。
床屋さん以外にも、タクシーなどもそう。微妙な感じで話題をふってくれる運転手さんがいるが、微妙な感じだから、すぐに変な沈黙が訪れる。だったら、はじめから行き先や方向などの事務的な話だけでいいのにと思うのだ。


おそらく、床屋さんにしろ運転手にしろ、お客さんに話をすることで、サービスの一つだったり、思いやりだったりするのだろう。それなのに、私としたらそれが大きなお世話に感じてしまうのだ。

ここに、感覚のズレがあるのだと思う。良かれと思ってやっていることと、それを受ける相手の必要性が咬み合わない。
こういうことは、学校現場においても、子どもたちの性格や人間関係などで考えられることだと思った。

我々も「A子ちゃんが一人で寂しそうな顔をしている、他の友だちに声をかけて誘ってあげるようにお願いしよう!」などと、友だちとのかかわりをつくってあげようと思う時もあるだろうし、「今日もB男君が一人でいる、今日は私が一緒に遊んであげよう」などと、自分が一緒にいてあげて、悩みがないか聞いてあげようと思う時もあるだろう。
しかし、もしかしたらA子ちゃんは、悩みがあって自分の世界でその悩みについて考えたいと思っていたかもしれないし、もしかしたらB男君は一人で自分の好きなことをしたい時間をもちたいと思っていたかもしれない。
もし、そうだったとしたら、かかわりをもたせること自体、余計なお世話になるかもしれない。

まぁそれでも、話を聞いてあげたり、友だちとかかわりをもたせてあげようとしたりすることは大事なことであって必要だと思うが。床屋さんにしろタクシーの運転手にしろ、自分の性格など知らないだろうし、その時に何か嫌な思いをしたとしても、後々に響くことはないだろう。でも、学校での人間関係はそうではない。大切なのは、何か動き出そうとする時に、その前のことを思い返すとともに、その後のことまで頭に入れて接していく必要があるなぁと思った。