しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

総合的な学習の時間は何でも屋ではない

只今、来年度の教育課程編成の時期まっただ中。しかも、来年度から本格的に新学習指導要領の移行期に入るため、いろいろと見直しが入る。大変だが、こういう時でないと、悪い意味での「現状維持」が続いてしまう。

意見が出る。

「縦割りの活動をもう少し増やしたいから、総合の時数を2時間増やせるか」

「4月に見学学習があるから、4時間総合を入れておこう」

「5月は運動会があるから、はじめの方に総合を・・・」







ん?なんかおかしくないか?

縦割りの活動って総合?
見学学習って総合?
運動会の準備や練習って総合?

無理やり意味付けしていけば、総合的な学習にもなるかもしれないが、今までの流れからすると、

「総合でとっておけばいい」

という感じが否めない。というのは、全く子ども主体じゃないし、問いも生まれていないし、課題も対決していないし、自己の生き方につながってもいない。


先生方にとって「総合的な学習の時間」は、まだまだ「何でも屋」なんだろうなと感じてしまう。

「『総合的な学習の時間』は学力向上に直結する」といっておきながら、移行措置における外国語科のためのプラスの時数を、15単位時間まで総合的な学習の時間から計上してよいなどとしている。結局、お偉いさんたちの中でもどこか「総合的な学習の時間は何でも屋」という感覚があるのではないか。。。

確かに、総合的な外国語の時間は学校の独自性が認められているとともに、それが、求められる領域だ。そのため「やるべきこと」が明記されておらず、使い勝手がよいと思われるのも事実だろう。また、独自性を求められるため、それが大きな負担に感じる先生方もいるだろう(特に現状維持をこよなく愛す方々は)。


私もそうだが、もっと「総合的な学習の時間」を楽しめるようになりたいなと思う。他の教科等よりも、好きなことができる(もちろん子どもたちのやりたいことというのが大前提だが)ということが認められているのだから、楽しいことがいっぱいできるはずなのだ。でも、やりたいことを見い出す余裕やその時間もないのが現状だ。放課後に町を歩いて教材研究できるようなゆとりがあったら全然違うんだろうなぁ。
そうすれば、何でも屋の総合も少しずつ変わるのではないか?