しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

卒業式の練習

卒業式の練習が本格化。返事に礼(返礼)、歩き方に座り方、呼びかけの声、卒業証書のいただき方等々、とにかく細かいところを逐一指導しなければならない。最後の式であり、最後の学校行事であり、この卒業式のために1200日ほど通ってきたのだから、こだわるところはこだわり、指導すべきことは指導し、みんなが納得する(感動したり、良い思い出となったり)卒業式にしなければならないのはよく分かる。


だからこそ、この卒業式の練習はいつも憂鬱になる。かれこれ卒業担任は5回目だが、回数を重ねるごとにこの憂鬱さは増している。何故か、それは穏やかな時を過ごしたいのに、説教のような指導をしなければならないから。

6年生のこの時期は、担任として伝えるべきことは伝えきっており、あとは、子どもたちと平穏に過ごし、思い出をつくりたいと思っている。

それなのに、
「もっと声を出しなさい」
とか
「全然聞こえない!」
とか
「ちゃんと見てないから、礼を忘れるんだ!」
とか
「フラフラしない!」
とか
「もっと背筋伸ばす!」
とか。しまいには
「そんなんじゃ卒業できない!」
などという説教も。

お互いに楽しい日々のままにお別れしたいのに、この時期は必ずマイナスな指導が伴ってしまう。それがなんとも嫌でたまらないのだ。

普段から指導が行き届いていれば、そんなに指導をしなくてもよいのだろうが、30人もいると、全員を基準まで高めておくことは不可能。できる子はできるから、逆に差も大きくなってしまうのだ。


そんなときいつも思う。
「誰のための卒業式なのか?」
ということ。紛れもなく、子どもたちのための卒業式なのだが、周りが納得して満足する卒業式にすることもまた「子どもたちのための卒業式」の必要条件になるとも思う。小さい声の子がそれで満足しても、他のみんなが満足しなければ、よい卒業式とはいえないだろう。このバランスが難しい。

それぞれのモチベーション(動機付け)もそうだが、そこに意味付けを伴わせることが必要なのだろうなと思う。