しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

卒業文集作成で見えてきたこと

今、子どもたちは必死に卒業文集を書いている。期限が差し迫っているため、それはもう必死だ。子どもたちがというより、むしろ私たちが・・・。。。

焦って作成しているからこそ、その子たちの素が見える、というか性格とこれまでの子どもたちの学校生活の過程が見えてくる気がした。


卒業文集を書く上で、大事にさせたかったことは、ただの日記や作文のようにするのではなく(例えば、「僕の一番の思い出は修学旅行です。それは、みんなで班別行動ができたからです。班別行動では、まずはじめに○○に行きました。そこでは○○をしました。つぎに、云々・・・・・。とても楽しかったです。」みたいなやつ・・・)、とにかく自分の思いや考えを述べ、今後の自分に何かつながることを表現することである。だから、修学旅行の思い出てあっても、そこで何を学んだのか、これまでの自分との違いは何なのか、そしてこれからどう生かすのか等について書いてほしいのだ。そう考えると、修学旅行の思い出では、たった2日間のことであるため、6年間の自分を振り返るのにはやはりちょっと無理があるのだ。


そこで見えてくるのが、子どもたち一人一人の6年間の有り様である。
構想や下書きを見ていろいろと指摘をしてきたのだが、いよいよ時間がなくなり、あとは自分の判断で自分の文集にしていくしかなくなる。そうなると、子どもたちの目的が「先生にOKをもらうようにする」ということにすり替わってしまう。となると、文章が変にクサくなるのだ。無理やり学びにこじつけようとする。学力面で能力が高いある女の子の下書きだが、修学旅行について書いていたのだが、その内容は「修学旅行での買い物で、安いものがあっても、すぐに買わないことの大切さを学んだ」などということを書いていた。おそらく、そんなこと学んでもいないのだろうが、早くOKを貰いたかったのだろう。文章のズレはほとんどなかったため、あとは、自分で決めるように話し、本人に考えさせるようにした。

しかし、ここで気付いたことはそういうことではなく、この子に、みんなに伝えたくなるような出来事や学びがなかったということ。正直、「書くこと」の力が低くても、日々その子なりにいろいろなことにチャレンジしたり、体験したり、考えていたりする子の文集は、表現こそ拙くても、思いはしっかり伝わる。
そう考えると、勉強ができることが大事ではなく、どう過ごしてきたのか、どう生きてきたのかの方が、その人を創り上げる大きな要素だと思うのだ。自分のこの6年間を自信をもって言葉にできるのって、これからの生き方にもしっかりとつながるだろう。


やっぱり、全員にそういう学校生活を送らせたいものだったなと反省する。