しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

勉強することを「罰」にするという発想を捨ててほしい

あるクラスの子どもが、

「うちのクラスは、宿題を忘れると漢字2ページやらなければいけないんです」

と話してきた。


ここに潜んでいると私が思う問題点について書き記したい。


まず、宿題の捉え方である。

宿題は「課す」ものかもしれないが、あくまで家庭学習。なかなか自分でやることを見いだせない子もいるだろうし、授業内容の理解が不十分なときもあるだろうし、補充的なものが必要なときだってある。それを教師側から示してあげているものだと思っている。また、それは「やってほしいこと」ではあるが、本来は「やらなければならないこと」ではなく「やった方がいいこと」なのではないかと思う。「やらなければならないこと」になった途端、宿題の意義や目的がすり替わり「こなすためのもの」になってしまう。そうすると、宿題をすることでの効果がなくなるのではないかと思う。

宿題は家庭での勉強だ。「やったら伸びる」が「やらないと伸びない」というだけのものだと思う。そして、宿題に学力向上を求めるのではなく、やっぱり我々は授業で勝負しなければならないはずだ。だからこそ、宿題に拘るのならば、プリントばかりやらせて、それの丸付けに勤しまなければならないような宿題ではなく、その子どもたちにこそ必要なものをしっかりと考えた上で出すべきだろうと思う。

宿題についての記事を以前も書いていたようだ。


そして、もう一つの問題点は「勉強することが罰になっていること」である。「宿題をやらないと、勉強をさせられる」という考え方がそもそも間違っていると思う。勉強って、知らないことを知ったり、新しいことができるようになったり、新たな疑問が生まれたりと、そもそも楽しいものであるはず。それを「罰」として与えられてしまうと、勉強が楽しいものになどなるはずがなく、より一層「嫌なこと」になってしまう。勉強することの楽しさを与えられるようにしなければいけないと思う。そのためには、そもそもの発想の転換が必要だ。それは宿題に限らず、授業からまず学ぶことの楽しさを味わわせるとともに、学んだからこその充実感を与えられるようにしなければならないだろう。

勉強は罰ではない。だって子どもたちには学ぶ「権利」があるのだから。