しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

できることをやるしかない【人は振り返ることができるかどうかが大事】

勤務するところの規模が大きければ大きいほど、たくさんの人がいる。これは当たり前。そして、たくさんの人がいればいるほど、いろんなタイプの人がいる。


人が抱える悩みの多くは(もしかしたらほとんどは)人とのかかわりにおけるものだと思われる。
合う人合わない人や、気が合う人苦手な人、好きな人嫌い人などはもちろんだが、仕事の仕方や考え方、能力的なものから、悩みにつながるものも多いと思う。


まずは「そもそもその仕事をする能力がない人」である。音楽の(指導の)経験がないのに、合唱部や合奏部の顧問になったり、子どもたちとの関係づくりができないのに生徒指導主事になったり、学習指導の案や計画、アイデアを生み出すことが全くできないのに研修主任になったり等々。

これは、どうしょうもない。だってできないんだもん。その人にやらせない方が学校のためになるのであれば、それはできる人がやった方がいいと思う。


でも、できる人はなぜできるのか。最初からできるはずがない。わからない中で少しずつ少しずつ覚え、自分なりの方法に変えていきながら自分のものにしているのだろう。でも、それをやろうとしないといつまでも「できない人」のままであろう。



そこで、次に挙げるのが「やる気がない人」だ。ここ最近夫婦でもその話題になるのだが、できないことを何とか自分なりにでもがんばってやってみようとしないのはもちろん、やる前から諦めていたり、むしろやろうとしなかったり、人に押し付けたりする人が多いよねということ。周りには「私は諦めの境地だから」などといって子どもたちのためになることを何一つやろうとしない人もいる。学習指導ができないから、テストに出るところだけを教え込む人もいるらしい。子どもを理解していないから、子どもの特性も知らない。だから何を決めるにもできる子数名がいつも代表にさせる人もいるようだ。

こうなるともう給料泥棒の域に達する。そういう人と同じ学年を組むと、子どもよりも手がかかる。



そして、もう一つは「自分は力があると勘違いしている人」だ。これがもしかしたら一番厄介かもしれない。自分はできる人だと思っているから、何か問題があっても、自分に原因があったとしても他のところに原因をすり替えてしまう。でも、少しずつ少しずつ問題は進行していく。持ち上がりの6年生のこの時期に不登校が続出したり、いじめ問題がおこったりするのも、この積み重なった負債の積み重ねかもしれない。私も初任校で思い当たるフシがあるなぁ。でも、そういう先生は決まって「私のクラスにばかり問題のある子どもを集められた」といい、やはり問題をすり替えてしまう。だから、反省もしないし自分自身の在り方を振り返って見直そうとしないから何も変わらないのだ。でも、そういう人に限って、余計なお世話の助言や武勇伝を語ってくるのだ。「6年生の社会は、絶対に遅れるから、猛スピードで進めた方がいいよ」とか「もっと厳しくしないとついてこないよ」とか「叱りつけて黙らせてやった」とかとか。それが原因でクラスが壊れていっているのに気付かないし、それを強要してくる。こういう人と関わるのも頭を悩ませる要因のひとつだ。



なぜこんなことを思ったかというと、出張で違う学校の人と関わったからである。

今日の出張は市の課題について考え、それをどうするか講じていく委員会。それの1回目の集まりだった。市内の6つの小・中学校から集まった先生方6人で話し合ったのだが、本当に考えが深い先生方だった。いろいろな課題を感じていた。そして、どんなことが必要か考えていた。そんな人たちと一緒に働けたら全然違うんだろうなと感じた。それはそれでまた人間関係の悩みは出るのだろうが、上で述べたようなレベルの低い悩みではないはずだろう。


でも、現実は変えられない。できない人はできないのだ。それはしょうがない。私だってできないことばかり。だから、今自分にできることを精一杯やるしかないのだ。そうすれば少しずつ変わるだろう。少しずつ力がつくだろう。そのためには、自分自身を客観視し、常に振り返らなければならない。