しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

ねらいなき運動会全体練習

今週末は運動会。ゴールデンウィークが終わったばかりで、フィジカル面もメンタル面も曇り気味なのに、やはり日々は待ったなしである。


その運動会に向けて、今日から毎日、運動会の全体練習が位置づけられている。これは、教育課程の年間行事にも入っている。おそらく、この年間行事への位置付けも一つの問題なのかもしれない。。。


というのも、子どもたちはおろか、我々教員も、なぜこの全体練習が位置づけられているのかよく分かっていないように感じるのだ。

今日は「ラジオ体操」と「応援合戦」の練習で、明日は「全校種目」の練習、明後日は「入場行進」と「開閉会式」「退場」の練習、明々後日は・・・・・と、その日にやることが予め決まっている。

だから今日は、集まってから「ラジオ体操」をやり、それが終わったら「応援合戦」の練習をするだけ。動きは確認する。ちゃんと動けない子には注意する。でも、練習の意義、ねらいにつながることは何一つ伝えていない。だから、子どもたちは100%受け身であり、自分たちで考えて動くことなどするはずもなく、終始ダラダラとしていた。


この全体練習というのは何故するのか?もちろん、運動会の当日にしっかり動けるようにしておくこともある。でも、それだけだとしたら、誰のための運動会なのかよく分からない。子どもたちは「ラジオ体操」でキビキビと準備体操をしているところを見てもらい、「応援合戦」で大きく元気のよい声で生き生きと応援する姿を見てもらい、「開閉会式」に態度よく参加している姿を見てもらい、「全体練習」ではみんなが揃って(良く言えば一丸となって)競技している姿を見てもらい、「子どもたちはしっかりと活動していますよ」といった姿で保護者に安心してもらうために練習しているのではないか?それは、子どもたちのためでも保護者のためでもなく、我々教員に非難の目がいかないようにするための練習でしかないと思うのだ。


子どもたちはがんばっている。それは確かだ。だからこそ、子どもたちの運動会にしてあげたい。そのためには子どもたちが意義をもたなければならない。子どもたちが意義を見いだせれば、自分たちで動くようになるだろう。もちろん、自分たちだけではできないだろうが「あんなことしたい」「こんなことできるか」と考え、そのためにどんなことをしなければならないのかといった計画を立て始めるだろう。子どもたちがそれぞれに主体的に活動し、何かを得、自分自身のがんばりに満足するのであれば、人の目なんてどうでもいいじゃないかと思う。

そして、そのために我々は一つ一つの練習のねらいを明確にしなければならない。