しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

「こわしたくないなぁ」

寒暖の差、疲れなどからか、風邪っぽさが治らない。治らないどころか、喉の調子は日に日に悪くなっているような気がする。ただでさえ喉が痛いのに、クラスの落ち着きがなく、大きな声を出さなければならず。。。そんな状態であるため、クラスが落ち着くはずもなく。。。つまり悪循環。


今日は図工があった。粘土を使う単元。子どもたちにとって粘土というと低学年というイメージがあるらしく、処分してしまったという子もいた。3・4年生の図工では粘土を使う単元はないのだろうか?私自身中学年の経験がほとんどないため、よく分からない。でも5年生を担任するたびに「粘土なんてもうないですよ」という話を聞く。。どうなんだろう?


まぁ、きょうだいや友達から借りるなどしながらも全員が準備できたため一安心。

高学年の粘土単元は難しい。1・2年生の時に使った記憶は残っているようだ。それも、図工の時間の記憶ではなく、先生が出張でいない時の自習としての粘土遊びの記憶である。自由に作る楽しさは十分に味わっているようだ。しかしながら、そこから抜け出すのは難しい。「粘土を切った形から造形を楽しむ」ということなのだが、この「切った形を生かす」ということはかなりハードルが高い。子どもたちにとって粘土は、丸めたり、伸ばしたりしながらイメージしているモノを作る遊びである。でも、今日の活動は逆であり、切った形からイメージが膨らみ、それを生かしながら作品を作っていくのである。それがなかなかできない。

どうしても、切ったものを丸めて、好きな形に整えてしまう。犬が作りたかったら、切った粘土を丸めて顔を作り、切って丸めた耳をつけ、胴体と合わせ・・・となるのだ。

なので、意図していることやねらいを子どもたちの中に落としていくのが非常に困難だった。結局、ねらい通りにいかない子どもたちも多く出てしまった。もっと導入を工夫すべきだったか?



話は変わって、粘土で作品を作り終えた時のことについて書きたい。

「こわしていいですか?」

と聞いてくる子どもは必ずいる。この言葉を聞くと「あぁ、この時間はよくない授業をしてしまったな」と思う。今日も数名いた。早く完成させ、写真を撮った子は、自分の作品をすぐにこわして、違う好きなものを作り始めてしまった。自分の作品に「思い」がないのだ。気持ちが込められていないため、すぐにこわしてもいいような作品になってしまう。ここに、私の問題があるのだ。子どもたちを学びのステージにのせてあげることができなかったのだ。だから、低学年の時の「粘土遊び」の延長のような活動で終わってしまう。しかも、あの頃のような粘土に熱中する思いも薄いため、なおさら思いは詰まらない。


そんな中、ある女の子が「あぁ、こわしたくないなぁ」という言葉を。「こわしたくないけど、こわすしかないから、切ったパーツごとに分けてしまおうかな。」などといっていた。これこそ、思いの詰まった作品である。思いを込めて一生懸命作った作品はこわしたくないのだ。

今日は一人の子しか言ってくれなかったが、私自身すごく救われた一言だった。