しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

「親友」を思い出して、思い出す「多面的な視点」の大切さ

私の親友J君。今は何年も会えていない。今年の夏は久しぶりに会いたいなと思っている。

この親友は大学生の頃のサークル仲間。サークルの会長と副会長を共に務め、いろいろと相談しながら会を進めてきた。また、サークル外でもよく遊んだ。お互い違う学部なのに、一番一緒にいた存在かもしれない。

思えば、恋愛についても、互いに進捗状況を確認しながら励まし合っていたなぁと思い出す。今では、その時に相談していたその相手がお互いの奥さんになっている。そしてそれぞれの結婚式ではお互いに友人スピーチをおこなった。


このJ君だが、大学1年生で初めてあった時の印象は最悪だった。J君はどう思っていたのか分からないが、私はJ君が大嫌いだった。もしかしたら態度にも現れていたかもしれない。でも、J君は気付いていたかいないのか、私にも普通に接していた。


なぜ嫌いだったかというと、簡単にいうと「私と性格が違う」ため「私に合わない」と思っていたのだと思う。1年生のくせに(自分もだが)、先輩方に馴れ馴れしくしているように見え、でしゃばっているような印象があった。

それに比べ私はどちらかというと、あまり前に出たがらず、そんなに話をするのも好きではない。そんな私から見たらJ君は、どこかムカつく煙たい存在に感じていたのかもしれない。


しかし、1年生の終わり頃から、何故か関わりをもつ機会が増えていった。サークルの部屋でファミコンをしたり、昼ごはんを食べたり、夜遊んだり・・・。そんなことが続くごとに、いつの間にかいつも一緒にいる存在になっていた。


共に過ごす中で感じたのは、「J君は人一倍、人に気を遣っているんだな」ということ。そして「関わる相手のことを第一に考え、自分のことは後回しにしている人なんだ」ということ。それは、接していく中で気付いてきたことだが、何故あんなにJ君が嫌いだった私がそれに気付けたかというと、J君を見る視点が変わったからだと思う。おそらくどこかの時点で「もしかしてJ君って結構いいやつなんじゃないか」と思えるようになったのだと思う。



今日休み時間に、ある女の子が「M君が◯◯しています」「私が◯◯って言ってもM君は・・・」などとM君のことを訴えてきた。つまりは告げ口だ。思えば度々ある。その時は「困った人だね」などと言ってお茶を濁していたのだが、帰りの会前にも「M君が・・・」とまた訴えてきた。その子に「結局、M君と合わないんだね」と話すと、どこかハッとしていた。おそらくM君のことが嫌いで、私にM君を怒ってもらいたいと思っているのだと思うのだ。


私が最初に抱いていたJ君への思いと似ているなと感じた。私が勝手にJ君を嫌いと思っていて、J君のすることは何でも嫌に感じていたのと同じなのだろう。


だからこそ視点を変える必要があるのだと思う。一番手っ取り早いのは「相手の良い所を探す」ということである。嫌なところは見えやすい。人はあら探しをするのが得意である。そう考えると、好きになるより嫌いになる方が簡単なのだ。でも、だからこそ「良い所」を見つける習慣をつけることってすごく大事だと思う。

それは、子どもたち同士だけではなく、我々も同じで、子どもたちや同僚など、自分と関わるあらゆる人たちの長所を見つけたいものだ。

でも、私は今日も同僚の嫌なところを見つけ、家で愚痴ってしまったが・・・。。。