しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

「動いて示す」ことと「動いて覚える」こと。

今の悩みどころは、自分がどこまで動くべきなのかということ。


学年には初任者がいる。大学出たてのため、社会人1年生。そのため、動けないのは仕方がない。というより、どう動いていいのか分からないというのがあるのだろう。


でも「教員として動けないこと」と「社会人として動けないこと」は別なのではないかと思うのだ。

例えば、学年の計画を考えるのは無理だろう。1年間を見通すこともできないのだから、それは期待してはいけないと思っている。

でも、学年の先生のお茶入れをしたり、印刷やコピーをしたりすることなどはできると思う。

お茶入れをさせるなんて「パワハラ」だと思われるかもしれないが、お茶を入れさせるのではない。実はこんなことが度々ある。

ついこないだも。。。主任がみんなの分のカップをもらっていき、お茶入れに向かった。私はちょうど、運動会の結果をまとめ、学年の賞状作りをしていて、手伝えず、申し訳なく思いながら「すみません、ありがとうございます」といい、主任にお願いしてしまった。すると、初任者の先生も「ありがとうございます」といって、主任にやらせていた。

また、こんなことも。初任者の先生が、ある資料を紛失してしまった時、6年生の先生が「今手元にあるからコピーしてあげる」といってくれた。すると、「お願いします」といって、その6年生の先生にコピーをさせようとしていた。
流石にそれはまずいと思い、初任者の先生に「自分のためにやってくれてるんだから、自分でいかなきゃダメだよ」と促したが。。。


これらのことは「教員としての仕事」ではない。だから、「まだ1年目だからやらなくてもいい」ということではなく、「1年目だからこそ、自分からやらなければならないこと」であると思う。



前にこんなことを言われた。
「誰にでもできる仕事は、先輩にやらせるな」
と。先輩の先生方は、「その人にしかできない仕事」をたくさん抱える。だからこそ、誰にでもできる仕事は率先してやらなければならない。そうやって「社会人としての仕事」を覚えていくのだと思う。そして、先輩の姿を見ながら「教員の仕事」を覚えていくのだと思う。


もともとそういう「社会人としての動き」ができる人もいれば、やっぱりなかなかできない人もいるのは確か。それは仕方ないこと。だからこそ、我々が意識して動かなければならないんだろうと思う。我々が動いて示していく。初任者はそれを見て、今度は自分から動いて仕事を覚える。地道にやっていくしかない。


当分、私は最近やらずじまいでいた「誰にでもできる仕事」にちゃんと目を向け、私自身が率先して動いて示していかなければならない。。。