しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

自由に表現しているけれど【研究公開を見て】

今日は前任校の研究公開を参観してきた。

総合的な学習の時間と、生活科の授業を見てきたのだが、やっぱり研究校だけあって、子どもたちがよく動くし、よく話す。

これは、低学年からの指導の積み重ねによるものだと思う。それは「話しなさい」という指導ではなくて、どちらかというと逆で、「話してもいい」という環境づくりがされているということだ。子どもが思ったり考えたりしたことを自由に「話してもよい」というような場や機会が保障されているのだ。

それは、話すことだけではなく、様々な活動で同じようなことがいえる。生活科や総合的な学習の時間、係活動などで、子どもたちがやりたいと思うことを大切にし、それを可能な限り叶えてあげるようにしているのだ。


でも、普通の公立学校では、どちらかというとまだまだ教師の管理のもとに子どもたちを置いておかないと(特にベテランの)先生方は不安らしい。そのため、自分の予想や想定と違うことを子どもがやりだすと、「なんで、勝手なことをやってるのっ‼︎」と怒りだしてしまう。


それが高学年まで続くことが多いため、何をするにも「◯◯してもいいですか?」と聞いてくるような子どもたちだらけになってしまうのだ。

今、担任している子どもたちも「トイレに行ってもいいですか?」はもちろん、「鉛筆を削ってもいいですか?」も聞くし、しまいには図工の時間に「何をかいたらいいですか?」と聞いてくる。

だから、まずは子どもたちが自由にのびのびと活動できる環境づくりが大切だなぁと思った。といっても、教師側が自分の独りよがりを改められればすぐにできることなんだけど・・・。



話は戻って、研究校には研究校なりの課題も見えてきた。それは、話や話し合いはできるものの、その表現がどこか気持ち悪いということだ。

「これって、本心なの?」というような発言や、キレイすぎる発言、小学生らしくない発言などが多いのだ。今日の授業でも、詳しい表現は避けておきたいが、なんか「かっこいい発言をしなきゃならない」とか「私の方がいい表現ができる」みたいな、ねらいや本質とズレかねない表現が見られた。それは、分科会でも出されたが、私もこの学校にいた時に感じていたことだった。もっと子どもらしい泥臭い表現だったり、拙い表現でいいんじゃないかと思うのだ。

そんな私も、かっこいい表現を、私のねらいに即していると勘違いして、美化されたような研究紀要を執筆してしまっていたかもしれない。



そう考えると、話してもいいという環境があっても、子どもたちにはどこか制限を感じていたり、教師や友達の目を気にしたりするところがあるのかもしれない。

では、どうしたらよいか、、、ここに大切なことが隠されているような気がする。



でも、勤務校には程遠い羨ましい話だなぁ。。。