しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

指使いの名人

小数のわり算の単元(割る数が小数)。この単元は「技能」の面に限っていえば、整数のわり算の筆算さえできれば、そんなに難しくない。まあ、意味付けまでいくと、つまり「知識・理解」の面まで評価観点を広げると、かなり怪しくなってくる単元だとも思うが。


しかしながら、毎年のように必ずいるのが、繰り上がり繰り下がりの加減法でつまずく子ども。これは仕方がないことだ。

文字の認識、つまり文字の読み書きの習得に著しい困難を示す「ディスレクシア」があるのだから、算数面にもそれはある。それが算数障害「ディスカリキュリア」である。

そこまでではなくとも、算数がかなり苦手な子どもは少なからずいるものだ。

それなのに、「どうしてできないの⁉︎」「この前も同じことやったでしょ‼︎」などと、できないことを責めてしまう教員も多い。私も10年くらい前はそんな叱責もしていたような気がする。

でも「できない子がいて当然」という感覚になった時、こちらにも心の余裕が出てくる。「じゃあどうしようか」といった、別の視点も見えてくることもある。

まぁ、できるようにしてあげることも我々の大事な使命であることも事実なのだが、その時間一時間一時間のねらいを、その子なりに達成させてあげることが何より大事かなとも思う。だから、場合によっては計算機を使っても良い時もあるだろうし、九九表を見ながらやらせてもいいだろう。



話は戻って、今、算数では小数のわり算の単元を学習している。先にも述べた通り、計算でつまずくこどももいる。はたまた、ひき算で指を使っている子もいるのが事実。


ここで、10年前の私だったら「指を使わないとできないの?」などと非難してしまうかもしれないし、直接言わないにしても「また指を使ってるのか」などと呆れてしまうかもしれない。

でも、これも、「できない子がいてもおかしくない」という考え方をするようになってからは、ちょっと違う見方ができるようになった。

それは、「観察してみる」ということである。その子の様子をそれとなしに観察してみると、これがすごいのだ。鮮やかに指を使って繰り下がりのひき算をしているのだ。「51−36」のような計算も、どうやっているか分からないが、指を使って計算している。私の感覚だと、指を使った計算は、10までの数の計算にしか使えないイメージがある。それを二桁の計算でそれも複雑な繰り下がりにも使えている。

「どうやってやってるの?」と聞いてみても、本人にもよく分かっていないようで、結局分からずじまい。これは、指を使って計算をしてきた、4年数ヶ月の経験そのものであり、積み重ねの賜物であるのではないか?


そう考えると、それってとてもすごいことだと思う。自分でやり方を発明してしまったのだ。それも自分にしか分からないような方法で。これこそ「指使いの名人」だと思った。


できないことは悪いことではない。できないなりに新たな発想につながることだってある。「できないけどどうしようかな」と自分なりに試行錯誤する姿なんて一番我々が見たい姿じゃないかなと改めて思った。