しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

必要感があれば動き出す【動機付けの種類】

教材会社からテストを購入している学校は多いだろう。そして、どの会社から購入しても、国語のテストには毎学期末に「漢字50問テスト」があると思う。それとともに、1学期と2学期には中間にも「50問テスト(1学期なら「4月・5月に学習した漢字」)」があることが多いのではないか?

子どもたちにとっては、この「漢字50問テスト」が一つの難関のようだ。先生によっては、100点取らせるまで再テストを繰り返すこともある。私はそのテストで全員に100点を取らせることにあまり意味を見いだせないのだが。。。

そうは思っても、漢字の読み書きができるようになることはやっぱり大事だよなぁとも思っている。


でも、子どもたちは漢字が書けない(子が多い)。もしかしたらこれもセンスなのだと思う。


私も再テストをさせていた時があった。そうすると、確かに書けるようになるのだ。ディスレクシアのお子さんは難しいが、何回も何回も繰り返すと書けるようになる。これは当たり前といえば当たり前なのだが、本当は、ただ漢字を何回も書いているだけでは書けるようにはならないのだ。そこに「覚える」が入らないと定着しない。

そこにあるのはまぎれもなく「必要感」だ。「100点を取りたい」という「必要感」をもつからこそ、練習し、漢字を覚えるのだ。そのため、この「必要感」こそ「動機付け」に直結するものといえよう。


しかし、この「必要感」や「動機付け」が場合によっては厄介になる。それは、上記のような場合の「必要感」は要注意だ。

「私も100点をとりたい(もしくは、取らなければならない)」という必要感は、目的が「100点を取る」ということになり、それは「 外発的動機付け」といえよう。100点を取らないと合格がもらえないのだ。または、100点を取ることで認められるともいえる。

そのような動機付けのもとだと、「そのテストなら100点をとれるが、他のテストではとれない」し、一番厄介なのは「結局、漢字を使えるようにならない」ということである。


子どもたちは、自分のために漢字を覚えようというふうにはなりづらい。コンピュータが普及し、字を書くということ自体が機会をなくしていっている。私自身も漢字を読めはしても、書けない字が多くなってきた。だからこそ、字を書く習慣をつけないとなぁとも思っている。それは私の「内発的動機付け」なのかもしれない。でも、そんなこと子どもたちは思うはずもない。

じゃあどうしたら子どもたちは漢字を書けるように(覚えられるように)という必要感をもつことができるのだろうか?


我々は何を求めているのか。そして、子どもたちはなぜ漢字を覚えるのか。それは、漢字テストで100点をとらせることではないのは確かだ。

その子ども一人一人にとっての漢字を覚えることのよさや意義が子どもたち自身に落ちていくようにならないと本当の意味での漢字の読み書きの力はつかないだろうな。


我々はなぜ、読み書きができるようになったのだろうなぁ。必死で覚えようと思った記憶はないが・・・。だからこそ、覚えられたのかなぁ。。。