しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

初任者の研究授業を見て【癖と人間性】

今日は初任者にとって初めての研究授業。
いやあ、悩んだ。私が。


初任者ならではの課題が多く見つかった。これは誰しもが通る道。でも、これらは経験が解決してくれる。ん?30年経験していても解決されない先生もいるぞ。。。

仕切りなおして、

これらは学ぶ気持ちをもって経験を積めば解決していける。


一方で、経験では解決されないこともある。

それは、その人の癖や、その人の人間性的なものに影響されるものについては意識しないと解決されない。


その先生には、「重ねてオウム返しをする」という癖がある。人が話し終わらない内に、被せて同じ言葉を繰り返すのである。

例えば私が「まずは、子どもに話を聞いてから、保護者に連絡しましょう」と話すとしたら、

わたし「まずは、子どもに  話 を聞いてえ、」
初任者「      子どもに 話を聞いてえ、」

といったように、文の終わりが重なるのだ。
また、無理やり合わせられるため、語尾が長くなってしまうのだ。。。


第三者が聞くと、

「まずは、こどこどもにはなしはなしをきいてえ、」
※二人同時に話すところは赤。

となる感じ。
これが、正直ちょっと気持ち悪い。。。


これを授業中に子どもの発表でも見られた。

子どもが「赤いテープ、1メートルの値段」

と発表しようとしたのに、

「あかいテーテープう、いちメートメートルのねだんー

みたいになってしまっていた。

これでは、せっかくの子どもの考えが、先生に取られてしまう。子どもにとってしたら「どうせ、先生に取られてしまう」と感じるのではないか。


自分の癖が仕事に影響することもあるよなぁと改めて感じた。知らず知らずのうちにそういう癖がでてくる。私にもあるんだろうなと思うと、ちょっと怖くなった。



そして、その先生だが、少し言葉が冷たい気がする。
先日、学年で体力テストのシャトルランをやった時のことである。

人数が多いため、男女それぞれを2グループずつに分ける必要があり、そのグループの分け方を、得意な子のグループとそうではないグループにすることで、時間の短縮を図った。簡単に言うと、長く走れる子と走れない子である。

そういう言い方をすると、走れない子を否定することになると思い、私は「得意な子と普通の子」という分け方をした。

しかし、初任者は「速い子と遅い子」という分け方をし、子どもたちに指示をしていた。

その時はちょっと失礼だなと思いながら聞いていた。


今日の研究授業でもそれが見られた。

子どもたちの問いを引き出す場面。言葉だけでは分かりづらいのだが、先生は、ズレを引き出したかったのに、子どもたちはそこに問いを見出さない。すると、先生は「先生は『◯◯◯』って思ったのに、みんなは『◯◯◯』って思わないの?」という発言をした。あたかも『◯◯◯』って思わないのはダメなような言い方で。

他にも、子どもが自分の考えを発表した時。その意見は、本時のねらいそのものの考えだったのだが、実はそれがめあてを決める前の段階。先生は、それを取り上げると、授業が終わってしまうと思ったのか、聞いた途端「みんなはよく分かってないみたいだね」と全否定。その子の説明をそして考えを殺してしまったのだ。


つまり、温かさがないのだ。頑張って発表した子を認めたり、間違ってしまった子でもその子の学びを捉えようとしたり、分からなくても励ましたり、そういうところがない。

初任者だから仕方がないといってしまえばそれまでだが、子どもに冷たいというのは致命的だ。


そんな自分の人間性ともいえる、そういうところを自覚しないと、子どもが離れてしまうだろう。


初任者の悪い面ばかりみて、けなしているだけのようになってしまったが、初任者に対しては自分であとは気付いてもらうしかないとあきらめているが、今日の授業を見た時に、「じゃあ、自分はどうなのか?」と自分自身を省察してしまった。でも、自分自身って案外見えないなと思う。自分の癖は?自分の人間性は?そして、どんな言葉を発し、どんな接し方をしてる?

正直、見えてこない。そう考えると、ちょっと怖い。明日からもう少し自分自身を客観的に見てみようと思う。