しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

これも断捨離?【やめてみた】

毎日の生活の中で、惰性でおこなっていることってけっこうある。毎日の睡眠時間や体重・体脂肪率などの記録や通勤時の『ミンティア』などのタブレットをなめることなど、特に考えなくおこなっていることなどである。もしかすると、普段の飲食もそうだし、歯みがきなどもそうなのかもしれない。


そのようなものなどが、毎日当たり前の流れになると、それが必要なのか不必要なのか分からなくなることがある。


最近目をつけたのが、スマホのアプリゲーム。数年前に妻がやっていたのを見て興味をもって始めたのが『パズドラ』。社会現象にもなったゲームであり、やっている人ややったことがある人も多いのではないか?私もその一人。パズルの楽しみとともに、モンスターを育成していく楽しさ、またそれらが定期的に更新していくことに魅力を感じ、結構ハマったところがある。


しかし、月日が経つとどこかマンネリ感を感じていく。これはどのゲームにもあるような課題だろう。そのため、企業としてはどんどんと新しい要素を盛り込んだり、モンスターたちもアップデートされていく。私の中ではそれが仇となった。ネットでも評価の高いモンスターをやっと手に入れて成長させたのに、少し時間が経つと、違うモンスターが登場し、自分のモンスターは評価がさがっていく。そういうことなどから、だんだんと魅力がなくなっていった。


そのため最近では、朝起きてからログインするだけで、実際にゲームをすることがなくなっていた。そこで、意を決してパズドラをやめてみることにした。

しかし、私の生活に困ることは何も無いことに気が付いた。つまり、私の毎日の生活の中で『パズドラ』をログインするということは、意味をなさないことだったのだ。


これも一つの「断捨離」なのかもしれないなと思った。この「断捨離」。ウィキペディアには、

断捨離(だんしゃり)とは、不要な物を減らし、生活に調和をもたらそうとする思想

とあり、先を読み進めてみると、

不要な物を断ち、捨てることで、物への執着から離れ、自身で作り出している重荷からの解放を図り、身軽で快適な生活と人生を手に入れることが目的である。

という言葉も書いてあった。

この「パズドラ」は私にとっては「不要なもの」であり、どこかに「執着」していたのかもしれない。「身軽で快適な生活と人生」というのは少々オーバーかもしれないが、「自身で作り出している重荷」というのは、言われて気付くことだなあと感じた。


自分にとって必要なのか不必要なのかというのは、自分自身では見失いがちだ。特に毎日何気なくおこなっていることなどは特にそうである。アプリゲームなどは興味のない人にとっては「なんでそんなのやってるの?」と思われるだろう。でも、それに興味関心のある人にとっては(私の場合は興味関心があった人だが。。。)、それが普通になる。途中で魅力を失ってまでも、続けなきゃと思っていたのだろうから尚更「断捨離」というのはそう簡単にはできないことなのだろう。


やはり、日々の生活を自分自身で見直し、身の回りの「『もの』や『こと』」に目を向け、都度都度よりよい判断ができるようにしていくことが大事なのだろう。

でも、それができる人はそもそも「断捨離」など必要ないような気もするが・・・。