しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

疑いの気持ちがあると・・・【回顧録】

今日は、土曜参観日の繰替休業日。

平日の休みは得した気分になる。土曜日に出勤しているため、プラマイゼロなのだが、なんか嬉しい。一人の平日っていうのがいいのだろう。といっても、息子は9時過ぎまで幼稚園には行かないし、娘は今日から学期末の短縮のため、2時前には帰ってきてしまう。なんだかもったいないような気持ちになる。


今日は、少し家でゆったりしたり通帳の繰越とかワイシャツの新調、買い物などをしたりしながら過ごす。それぞれの一時の中でちびちびとブログを書いている。短時間ながらも一人の時間を過ごすと、普段考えないようなことも考える。

今日は、大学生の頃のある出来事を思い出した。今になっても頭にくることがあった。

あれは、友達と夜遊びをしていた時のこと。夜遊びといっても本当に健全で、友達の家でゲームをしたり、話をしたりするような遊び。夜中に差し掛かる頃に、友達と自転車で帰り路につこうと歩いていた。

すると、警察から声をかけられる。その警察官にかけられた第一声が、

「その自転車、誰のかな?」

である。悪いことはしていなくても、警察官に声をかけられるのはやっぱり怖い。私は、戸惑いながらも

「僕のです」

というしかできなかった。だって私のだから。すると、その警察官は、

「最近、自転車の盗難が相次いでいるんですよね」

「だから、一応、声をかけさせてもらってます」

といっていた。

「最近、自転車の盗難が相次いでいて」「一応、声をかける」のならば、

「その自転車は誰の?」

という声のかけ方はおかしいはず。おそらく、ほぼ100パーセントの人が自分のだと答えるだろう。はなっから私のことを疑っていたに違いない。いろいろと取り調べを受け、自転車に貼ってあった高校の自転車通学許可のシール(一度貼ると剥がせないようなシールだった)により、疑いは晴れたようだ。だって、その地区にない高校のシールだったから。


でも、証明できなかったとしたらどうなっていたのだろう。向こうは疑っている(おそらく、クロだと信じている)し、国家権力だし。



問題点は、「疑う」ということだと思う。「推定無罪」という考え方があるはずなのに、警察官自らそれをもっていない。それは怖いなと思う。

学校でもそれは同じだ。はなっから「この子は悪い」と決めつけてしまうような先生もいる。もしかしたら私だって。

ふとしたことで思い出したが、せっかく思い出した黒い思い出なのだから、自分自身気をつけるように改めて肝に銘じたいと思う。