しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

教師の都合は子どもは分かっていない【無駄なあがきはやめよう】

金曜日は授業研究会。

なのに、毎日私は出張で放課後がない。


でも、この状況はもしかしたらプラスなのかもしれないと感じてもいる。

というのは、無駄なあがきができないから。

この、「無駄なあがき」は、思っている以上に厄介である。

なんのために「無駄なあがき」をするのか?

それは「少しでもいい授業を見せる」ためである。

では、それは誰のためなのか、そして何のためなのか。それを考えた時に、ほぼほぼ「自分のため」「参観者に『あの授業、ダメだよね』といわれないため」であることが多い。

すると、どうするかというと、レールを敷き出すのである。

「子どもたちに、◯◯してほしいから、予め◯◯させておく」とか「子どもたちが◯◯するようにしこんでおく」とかである。

そうしておくと、確かに安心するかもしれない。

でも、これが上手くいくことはまずない。

なぜかというと、それはただの教師の都合であり、子どもたちには何の関係もないからである。子どもたちは、その時その時に考えたことを、行動だったり表現だったりに移していく。だから、教師の都合など考えないのである。
それを忖度させてしまったら、もう教師は辞めなければならない。いわば奴隷である。そこまで(したくても)できない教師はわんさかいるのだが、、、つまり、脚本がある授業だ。

私も危険な状態に陥りそうになる。
今日、総合の授業をしたのだが、金曜日に授業研究があるからと、いろいろとしこみそうになってしまった。「こういうことを言っておこう」とか「事前に釘を差しておこう」とか。。。

でも、全体的に子どもたちの様子を見渡してみると、私の思いなど関係なさそうにしているのだ。

その様子を見て、「子どもには子どもの思いや考え、そして状態、そして、ここまでの軌跡があるんだようなぁ」とふと我に返った。

だからこそ、「いい授業を見せよう」と思うのであれば、

「子どもたちそれぞれが(多様に)◯◯できるように、◯◯などを用意しておこう(環境を整えておこう)」とか「子どもたちが◯◯のような考え方ができる(広がる)ように、多様に経験できるような活動を用意したり(裏にしまっておいたり)、子ども同士のつながりをつくっておこう(単元を構想することや子どもの姿を想像すること)」

が必要であり、そのためには「あがき」では無理であり、それまでの学びの積み重ねが大切になるのだと思う。


だからこそ、無駄にあがけない今の私の現状は逆にちょうどいいのかもしれない。。。