しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

そんな授業に価値はない【研究授業の意義】

今年度も研修主任をやらせていただいている。学校の現職教育についての方向性や進め方を提案する立場であるとともに、先生方の研究の成果と課題をまとめることも大きな仕事である。

研究の進め方としては、単純。学年で研究する教科等を決めて、研究テーマに沿った手立てを講じ、授業をする。その際、必ず一人一研究授業を行うということ。そこに大きなハードルがあるらしい。それについては、読者の方にとってはおなじみかもしれないが、過去記事「『見られたくない』らしい」を参照いただきたい。


今日、ある低学年の先生から、研究授業について相談された。日程についての確認だったのだが、やっぱり『見られたくない』軍団の一味なのであった。やっと奴はいなくなったと思いきや、まだまだ『見られたくない』奴らはわんさかいることに改めて気付く。いや、知っていたけれど。。。


その人は去年、全然研究授業をする素振りがなく、ギリギリまとめに間に合う時期にやっと授業をおこなった人だ。ずっと「忙しい」などといい、文句を言いっぱなしであったため、もしかしたら「やらずに済まそう」と思っていたのかもしれない。

そんな人から、研究授業の相談を受けたため、「おっ、今年は変わったのかな?」などとちょっとだけ思ってしまったのだが、そんなことあるはずもなく。。

その人が提案した日は、ちょっとした行事が入っており、少し慌ただしい日だった。でも、研究授業を入れることはできるような微妙な日。その先生が、こんなことを言っていた。

「(行事があるから)みんなの気が向かないうちにやっちゃおうと思って」

と。

それを聞いて、怒りを覚えた。

怒りの相手は、私自身。

少しでもこの人の変化を想像してしまった自分にである。変わるはずがないではないか。

そして、こんな人が担任であるクラスの子どもたちがかわいそうでならない。

この現状は私にはどうすることもできない。この人が自分から辞めない限り、良いことは何一つない。でも、こういう人は辞めないんだなぁ。。。


そもそもとして、なんのための教員なのか?子どもたちのための教員なのであり、授業なのではないか?そんな人の授業など、一片の価値もない。自分のことしか考えない、自分都合の人がいるが、その人にも価値がないと思ってしまう。