しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

外見より内面っていうけど、、、

人は外見より内面だともいうけれど。

確かに顔が好みのタイプの人であっても、性格が最悪であったら、好きにはならずむしろ嫌悪感を抱くであろう。

また、そんなに顔がタイプではなかったとしても、すごく性格が良かったり気が合ったりすると、だんだんと惹かれていき、気がつくと好きになっていたということもあろう。

内面の大切さは明らかである。


でも、どんなに性格が良く気が合ったとしても、顔が全くといっていいほどタイプではなかったとしたら、好きになることはないように思える。むしろ、この場合は、気が合うということにもならない可能性が高いかもしれない。

そう考えると、一定の外見は大切なのだとも思う。


それは、人だけではなく、学校での授業や行事などの発表会などの面でもいえるかもしれないなと思った。

来週末の学習発表会に向けて発表の準備や練習が本格化している。5年生は総合の学びをまとめ、それを発表することにしている。


この、発表会。これまで私の考え方と他の先生方の考え方にズレがあった。

私は、たとえ発表内容が幼稚だったり、キレイにまとまっていなかったりしても、調べたことや学んだことを、その子どもたちなりにまとめていれば、つまり子どもの思いがつまっていれば、それこそがまとめなのではないかと思っていた。

しかし、多くの先生は、先生の思いを強制してでも、キレイにまとまっている発表をしないといけないと考えている。発表内容もある程度しっかりとしていて、見られても恥ずかしくないようなかっこいい発表をしないといけないと思っている人が多いように思える。
確かに、親や地域の方々に見られるときに、しっかりとまとまっていないと「学校ではいったい何をしているんだ」と思われると考えてしまうのも分からなくもない。

でもそれが、子どもたちの真の学びでなければ、ただのキレイ事であり、発表会のための発表になってしまう。


だからこそ、できるだけ子どもたちの生の姿で、学んできたことを発表させてあげたいと思うのだ。


しかしながら、そうはいっても、発表会だってある程度の外見は大切にしないといけないかもしれないなとふと思ってしまった。

いくら子どもたちの思いが詰まっていたとしても、「なんだ、あの発表は?」「ちゃんと練習したのか」「こんなにレベルが低いことをやっているのか」等々、外見の部分だけで評価されてしまうことだってあるだろうし、そうなると子どもたちはかわいそうだなと思うのだ。


と考えると、やっぱりある程度のレベルは必要なんだよなとも思い始めている。


じゃあ、

「どの程度教師の手を入れていいのか?」


というような考えの方向性にしてはいけないのだろう。

子どもたちの学びのレベルをあげるのは大切。そのためには、いつも述べているように、課題を自分事とするように魅力的な授業、単元構想を考えること。

そして、子どもたちの学びのレベルを上げるのもある程度限界があるため、子どもたちの学びのレベルに合った発表の在り方を子どもたちとともに考えていくことも必要だ。


子どもたち自らが、外見を無意識ながらも整えていけるような、環境づくりをしていかなければいけないなと改めて思った。