しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

自分にとって都合のいい解釈に走る

説教をしたつもりはなくとも、その子にとって嫌だなと思うことがあれば、結局は説教になってしまう。

嫌味を言ったつもりはなくとも、その子にとって違和感になってしまうと、結局は嫌味を言ったことになってしまう。

「頑張れ」と励ましたつもりでも、その子にとって重荷になってしまうと、結局は無理強いになってしまう。


その子にとっての受け方次第で、捉え方が変わる。

それは、双方の思いのズレということもあるだろうし、一方の思いこみということもあるだろうし、合う合わないによるものもあるだろう。


そのときの解釈は、結局は自分にとって都合のいい方を選択するのだと思う。

先生に説教をされたと解釈すれば、親に助けを求められる。嫌味を言われたと解釈すれば、先生は怒ってくれる。無理強いさせられたと解釈すれば、嫌なことをせずにすむ。

といったところだ。


そこに保護者が入ってくると、もう手に負えない。保護者は見ていないのだから、全面的に子どもの味方をし、先生を攻撃する。そうなると、もう聞く耳はもたない。。。


でも、その解釈はとても危険だ。結局は自分を守ることによって、周りにとっては矛盾が生じ、信頼関係は崩れていく。そうなると、一人、また一人自分から離れていき、最後には「そして誰もいなくなった」になるのだ。


やはり大切なのは、冷静な思考力と判断力。長期的かつ戦略的に自分自身の在り方と身の振り方を見つめ、自分はどうすべきなのかを考えていく必要があるだろう。