しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

未来を見ることができるとしたら・・・

悲しいかな、学習に対して(学習に限らずかもしれないが)主体的になれない子どもは多い。

分数のたし算ひき算の単元が終わり、単元テストをやってみて思わず肩を落としてしまった。十数時間の単元を通しても、

1/3+2/5=3/8

という計算をしてしまう子どもがいるのだ。一人二人ではない。30人位子どもがいる中で、5人もいた。

導入で、その間違いの式を提示し(私がわざと間違え)、子どもたちが「それは違うよ」というやり取りを行い、そのまま計算してはいけないことを確認したのに。その時、M君が通分の必要性を力説したのはいったい何だったのか。通分する時に、最小公倍数で通分するといいと説明してくれたK君の話は何だったのか。その時に最小公倍数で通分せずに、計算のめんどくささを感じさせてくれたNさんの姿は何だったのか。

あの時間は5人の子どもたちには何の意味があったのだろう。。。


授業中は黒板を写すだけの子どももいれば、何もせずにボーッとする子どももいる。消しゴムの消しカスでネリネリして遊ぶ子どももいる。毎時間のように教科書を忘れる子どもだっている。授業に限らず、宿題をやらない子どもや明らかに答えを見てやってくる子ども、宿題がないと喜ぶ子どもも多い。


子どもたちの20年後はどうなっているのだろうかと考えてしまうことがある。特に、先ほどの分数のたし算ひき算の例の子どもはこの先どうやって中学校、高校生活を送るのだろうか。高校に行かずとも、人間である限り、学びながら生きていかなければならない。それができないとしたら、完全なるニートになってしまうかもしれない(まぁ、ニートにまいろいろなニートがいるだろうが)。父や母は先に亡くなるのが自然の摂理。お家の人が面倒を見てくれる環境にあったとしても、それは永遠に続くことはないのである。


生きていくということは、自分自身の責任のもと生きていかなければならない。勉強するのもしないのも自分であるし、それによって影響を受けるのも自分自身なのである。


しかしながら、小学生の子どもに、そんなことを想像したり理解したりすることができるはずもなく。まだまだ自分の人生は他人事。それは仕方がない。

そんな時に、「もしも未来を見ることができたら、もっと自分事として捉えられるようになるかな?」とふと思ってしまった。


でも、これはなんの意味ももたない。いや、おそらく、見えた子どもたちの未来は絶望である可能性が高いであろう。だって、絶望の未来を見た子どもたちは、今後も努力をしないだろうから。。。

卵が先か鶏が先かのような話だ。。。