しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

生活科の授業を見るということ

今日は前任校の生活科の研究公開。

人が集まらないということでお誘いを受け、勤務校の管理職にお願いし、なんとか参加させてもらった。

どのくらいの参加者がいたかというと、、、

ご想像にお任せします。。。


とにかく、身内による授業研究会だったということだ。

非常に非常に非常にもったいない。毎日、自分の専門教科等を熱心に研究している先生の授業を参観し、それについて語れるせっかくの機会なのに。

もっと公立の先生方は勉強しようとする意識をもつべきだ。

そういうことを、若い先生方に広めていかなければならないなと改めて強く感じる。



では、授業はどうだったのか。

良い悪いではなく、やはり勉強になったということに尽きる。

生活科や総合の授業を参観する時にいつも感じるのは、授業前の姿が分からないため、子どもの姿で授業を語るのが難しい。だから、どうしても「◯◯なのか?」「◯◯なのかもしれない」「◯◯という背景があったのかも?」などと、想像で考えるしかないと思っていた。まぁ、今となっては、授業前の姿を見ていたとしても、担任であったとしても、想像で考えざるを得ないところはあるのだが。。。

しかし、想像で見るからこそ、先生の支援のあり方や働きかけの様子などをよく見ることができるし、子どもの姿をよく見ながら授業を参観できるなと思うのだ。


生活科は、その子の思いを見取ることが大切な教科。そして、それぞれの思いのよさが認められる教科。その中での成長の様子を感じることができる教科。でも、これらは「担任だからこそ」できること。

その様子を参観者が共有できるのはとても興味深い。「どうしてこういう発言をするようになったのか」「どうしてこのような姿が見られるのか」「変容の要因は何か」「活動の根拠は何か」等々、子どもの活動の背景にある様々なことは、担任のこれまでの仕掛けと働きかけにある。

それらは授業構想であり、生活科においては「カリキュラムマネジメント」そのものだ。それらを知る手がかりを少しかもしれないが得ることができる。

生活科は、どの教科等にもつながる教科。だからこそ、多くの先生に参観してもらいたいものだ。