しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

会食恐怖症と完食指導、そして食育

私は小学生の頃、給食が嫌いだった。弁当の日はすごくうれしかった。中学生になると、給食ではなく毎日弁当だったため、よかったと思っている。


あれは、小学1、2年生の頃だ。

私は納豆とトマトが嫌いであり、毎日のように給食の献立表をチェックしてはハラハラしていた。納豆やトマトが出る日は朝から憂鬱であった。

4時間目が終わり、給食の時間になると、自然と涙が出てくる。恐怖の時間の始まりだ。

とにかく「嫌い」は許されず、食べなければならない。食べなければ、その後の休み時間はもちろん、清掃の時間も食べさせられ、5時間目が始まっても食べ続けなければならない。

我慢できずに吐いてしまうこともあった。すると、友達が嘔吐処理をしてくれる(今となっては考えられない)。

そして、「好き嫌いがあって、給食をちゃんと食べません」という旨を連絡帳に書かれ、親に伝えられる。


とにかく、給食が嫌いだった。父親の話だと、給食が嫌で学校に行きたくないと言った時もあったらしい。


先日、ヤフーニュースで、完食指導による会食恐怖症への影響に関する記事を見た。

ここで書かれているようなことを私たち世代はされていた。もっと強制力は強かったかもしれない。

給食が嫌いになるような給食指導というのは、はたして食育なのだろうかと常々思っている。


同僚の話に「とにかく最後まで食べさせてやった」「残しは許さない」「甘やかさない」などという言葉が聞かれる。

もしかしたら、これに影響された子は、給食の時間は楽しいのだろうか?いやいや食べる給食・・・なんだか悲しくなる。


私のクラスは残食が多い。特にご飯がすごく残る。少食の子が女子に多く、とにかく少なくするのだ。それに、豆やアスパラなどの特定の食品だけを減らす子もいる。


これはこれで問題だと思いながら、小学生時代のトラウマから、強制はさせたくない。でも、少しずつでも食べさせたいとも思う。


そこに、今大きな葛藤と課題意識を感じている。

一体、給食における食育とはなんなのだろうか。学校での食育は給食が要になるだろう。その給食を楽しくもバランスよく食べられるようになるにはどうしたらよいのか。


この給食における指導が「会食恐怖症」に繋がるという。これは食育の精神とは逆をいくであろう。嫌いなものを食べさせることが大事なのではなく、好き嫌いなく食べることの大切さを感じさせることが大事なわけであって。。。


私は今は好きではないし、好んで食べようとはしないが、納豆もトマトも食べようと思えば食べられる。大人になれば食べられるものも増えるのは事実だろう。長いスパンで捉える食育は大切だろう。


今やるべき給食指導と長い目で見るべき給食指導を精査して指導に当たるべきであろう。