しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

評価の基準をもとにした行事の精選を考えるべき

嫌ぁ〜な鼓笛の季節。

またこの重い重い鼓笛の日々が始まったかと思うと、毎日学校に行きたくなくなる。

朝の時間に休み時間、そして放課後の時間が鼓笛になってしまう。

これはこれで問題だ。大きな大きな問題だ。

本当は行事の精選に真っ先に挙げられるべきことだ。


市内のある小学校で、その学校の校長が鼓笛の廃止を指示したとのこと。

すると、どうなったかというと、

保護者の猛反対にあったという。

つまり、誰が鼓笛をやりたいかというと、教員でも子どもでもなく(もちろん、やりたいと思う教員も子どももいるだろうが)、一番は保護者だということ。

「なんでうちの子のときに鼓笛をなくすんだ」
「うちの子のだけ鼓笛の姿を見られないってどういうことだ」

という感じ。

それでも、その学校では無くす方向は変えなかったようだが、そう簡単にスクラップできる行事ではないことがよく分かる。

少〜しずつ、少〜しずつ規模を縮小しながらスクラップしていくしか方法はない。


ということで、今年も嫌ぁ〜な鼓笛の季節に入ってしまった。。。


まずは楽器などのパートのオーディション。

オーディションの前には、鍵盤ハーモニカで校歌を吹けるようにならなければならず、また、それぞれのオーディションにも課題がある。

それを5年担任で評価し、合格者を決めていく。


担任みんなで評価するのは他の人の意見もあるため、責任も分散するが、鍵盤ハーモニカの試験は担任がチェックするために、評価の責任がもろにくる。


そんな時に難しいのが、評価の基準である。(この場合は、規準ではなく基準が正しいと思うため、基準を使う)

それは「校歌を吹ける」という規準に対し、「どこまで吹けたら」とか「何回間違えたら」とか「リズムは」とか「速さは」とか「指遣いは」とか、、、様々な基準があるのだ。その基準は担任みんなで合わせるのは難しく、担任によって判断せざるを得ない。

つまりは、1組では合格でも2組では不合格になってしまう可能性だって否定できないのだ。

これは、非常に無責任である。でも、実際のところは、担任のスキルや音楽性、時間に労力などの問題があり、そこまで考えることは物理的にも精神的にも不可能であり、致し方なくなってしまう。

逆にいうと、鼓笛とはそれだけ負担の大きい行事であるのだ。

この、鼓笛のために、あまりにも大きな負担を強いられてしまう。

そこまでしてやることなのか。

鼓笛で得られるものはなんなのか。

今の子どもたちにとって大切なことはなんなのか。

そういう視点で再考していかなければならない。


やらないより、やった方がいいに決まっている。

でも、何でもかんでもやってしまったら、すべてが曖昧なまま終わってしまう。


子どもたちのためにも大鉈をふるう選択を、少〜しずつ少〜しずつ、でも着実に確実に進めていくことが大切だ。