しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

憂鬱の年賀状書きに思う人間関係

旅行も終わり、あとは新年を迎えるだけ、、、にしたいのだが、悪夢の年賀状書きが残っている。

この年賀状書きだが、とにかくやりたくない。憂鬱で仕方がない。ということで、ここまで先延ばしにしてしまっていた。。。


夫婦揃って重い腰を上げ、年賀状の印刷にとりかかる。

印刷をして、力尽き。。。

というより、この後のコメント書きが何よりも嫌なのだ。。。


巷では(?)、「終活年賀状」たるものが話題になっているらしい。


やはり、年賀状は負担であることは確か。

年賀状くらいしか繫がりがない人もいるから大切にしたいという考えもあるかもしれないが、そもそも年賀状しか繫がりがない人に年賀状を出す必要性も疑問になる。

たまにくる印刷だけされ、何もメッセージのない年賀状。メッセージを書くことが大切という訳ではないが、何も書いていない年賀状を出す意義を考えたら、いろいろと無駄だよなと正直思う。


ここで考えなければならないことは2つ。


一つは、何故に年賀状を出すのかという意義である。人との繋がりを保ちたいという意義が一番である。

であるなら、中身も大事になるだろう。近況報告かもしれないし、元気にしているという合図かもしれないし。今年こそ顔を合わせたいというメッセージかもしれない。年賀状によって繋がりを保てるのは一番手っ取り早いかもしれない。


そしてもう一つは、年賀状を出す出さないではなく、どう人と繫がっているかを日頃から考える必要性である。一年間何もなく、年に一回年賀状を出すだけでその人と繫がっているということはないはず。それこそ、希薄だなぁと思うし、そうであるとしたら年賀状を書くのが憂鬱になってしまうのだと思う。


そう考えると、私自身の人間関係は相当希薄であるということが分かる。

思えば、何年も会っていない友人もいる。「今年こそは」と思いながら、もう10年。

年賀状を出すかどうかではなく、実際に会って、話してこそ、繋がりになるのだと思う。


来年は、人との繋がりをもう少し意識していきたい。そして、「来年こそ」友人に会いたいなぁ。


ということで、夜は憂鬱の年賀状のメッセージ書きの時間かな。。。