新米教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

相談することは、痛みも伴う。でも、だからこそ・・・

先日、「相談すること」について記事にした。


今日、3年目の先生が、今年度の研究のまとめについて相談をしてきた。学校のまとめではなく、自分自身のまとめについてである。自分で研究のまとめを提出するという決断をし、今、それに立ち向かっている最中のようだ。


その先生は、

「お忙しいところ、申し訳ないのですが、なんとか助けていただけませんか?」

と、すがるような表情でお願いしてきた。

「まとめがゴチャゴチャで、自分でも何を書いているのか分からなくなっているんです」

と、冷静さをどこかなくしているような感じで、とにかく切羽詰まっていた。

この土日になんとかしたいため、意を決して相談したという。


実は、昨日の夜に校長から、その話を聞いていた。プロット立てができておらず、書いてあること一つ一つがバラバラになっており、繋がっていないと話していた。でも、その事実を話されただけで、手伝ってあげるようにとか、相談にのってあげるようになどとは一切いわれなかった。

だから、3年目の先生は自分から相談してきたということだ(まあ、もしかしたら「相談してみなさい」などと言われたのかもしれないが。。。)。


読んでみると、確かに苦しい感じだった。やってきたことをただ、時系列に並んでいるだけで、一つ一つのことが点のままであり、まとめにはなっていない。


そこて、とにかく内容はおいておいて、プロット立てを中心に、1時間くらいかな、2人で考えた。


あーだこーだと話し合い、プロットを考えながら、ふと、数年前の自分自身を思い返してみた。

私は研究に悩んでいた時、なかなか相談できずにいた。それを先日は、「忙しいところ申し訳ないから」という理由として記事にした。


でも、それだけではなかったのかもしれない。

本当の理由、それは、

「突っ込まれる怖さ」

「ゼロベースになる怖さ」

かもしれない。


相談していると、相談された方は、

「これってどういうこと?」

とか

「とうして、この事を書いたの?」

という突っ込んでくることが多い。

今日の私もそんな質問をしていた。

しかし、これって相談する側としては、結構ドキドキなのだ。

突っ込まれるところは、考えの甘いところなのだ。それを怖れてしまうため、相談できずにいたのだと思う。


加えて、

「これっていらないよね」

とか、

「まるっと変えたほうがいいね」

などと、ゼロベースで考えさせてくることも多い。せっかく苦労して自分なりにまとめたのに、それをまた一からやり直しになるかもしれないという怖さもある。このことも、なかなか相談にいけない理由だろう。


でも、3年目の先生は、そのことを怖れずに相談してきた。いろいろと話していくと、意図も見えてくるし、点が線になっていくのが分かる。


つまり、相談は痛みも伴うが、確実に先に進む。

だから、本当の意味での一歩を踏み出す勇気が、悩みを解決してくれるのかもしれない。