新米教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

課題は、自分事となるように意識することで

私は字が下手くそである。

字の上手な人は本当にうらやましい。それだけでプラスに見られる。子どもたちを見ても、字が上手な子は頭がよく見え、そうすると、ピグマリオン効果により、実際に学力が向上していく。

なんとうらやましい。


そんな私だが、1年生の担任をしてから、黒板の字もだいぶマシになったと思っている。

どうしてか。それはやはり、意識するようになったからだと思う。「私の書く字が子どもたちの字になる」ということを考えたら、恐ろしくなったのである。黒板に書かれた私の字が子どもたちにとって、学校での字との出合いであり、それがベースとなってしまう。子どもたちが大きくなって書く字が、私のような字になってしまったら本当に申し訳ないと思った。

それからは、字形や書くスピードなど気をつけて字を書くようにした。1年生とともに、ひらがなの練習をした。改めて正しい字について知ることができた。


では、それまでは字の下手さを意識していなかったのかというと、決してそうではない。「字が上手になりたいな」とは常々思っていた。でも、ずっと字が下手なままだった。


問題は「どう意識するか」である。「字が下手くそだから、上手に書けるようになりたい」とか「上手な字を書けるようにがんばるぞ」などと思うだけでは、上手くならないのである。


私の場合は、「字が下手ということが、子どもたちに迷惑をかけるかもしれない」と思い、「このままではまずい」と思うことができたため、なんとかして字を直したいと動き出せた。

つまり、自分自身の課題が自分自身の心をくすぐるようにならないと、直そうとなどしないのだ。それこそが自分事。


人に課題を直してほしいときも同様である。その人にとっての課題が自分事にならなければ、何をいっても響かないだろう。

漢字が苦手な子どもに「漢字の練習をしなさい」といっても、書けるようにはなりにくいだろう。

わり算ができない子どもに「わり算の練習をしなさい」といっても、わり算ができるようにはなりにくいだろう。

期限が守れない初任者に「期限を守ってね」と注意しても、これからも絶対に守らないだろう。

気配りができない初任者に「主任にお茶いれを頼まないように」といっても、今後も主任に「お願いします」といって、カップをわたすだろう。

率先して動けない初任者に「早めに体育館にいって、授業の準備をしよう」と声をかけても、これからも絶対に私一人で準備をするだろう。

相談できない初任者に「困った時や分からないことがあった時は相談するように」といっても、もう間に合わない段階に入ってしまって、私が変わりにやったり、何故か私が上司に謝ったりするだろう。


その人にとってのスイッチは、その人にしか押せない。意識のスイッチの押し方の本はないだろうな。。。