新米教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

自分がやっていることは「当然」ではない【人間力】

学年でみんなで活動するとき。

例えば、なわとび記録会に向けた練習や、6年生を送る会に向けての準備、鼓笛の練習などなど、この時期は何かと学年で動くことが増えてくる。

気付くと、活動が始まる少し前に活動場所に行って様々な準備をしている。なわとびのための準備であったら、早めに体育館に行って電気をつけておいたり、なわとびで使うタイマーをセットしておいたり、マイクの準備をしておいたり。。。鼓笛の練習をするのに寒かったら、早めにストーブをつけておくとか、、、結構やることはたくさんあるのだ。


でも、それをするのはいつも私なんだよなと思ってしまう。みんなが来る頃には、ほぼ準備が終わっている。すべて終わった頃に、彼が一番最後に登場するというのがお決まりになっている。おそらく、私がやってしまっているから、気付かないのかもしれない。


私がなぜそれをしているかというと、先輩のそういう姿を見ていたからだろう。何かがあると、率先して動く。忙しい主任たちを動かさないという暗黙の動き。

だから私にとっては当然のこと。

でも、私がそのときの先輩の姿をしっかりと見ていなかったり、見たとしてもそれを意識しようとしなかったりしたら、私も動かない人になってしまっていただろう。先輩方がそのような姿を見せてくれたということもすごく大きい。


そう考えると、それって「当然」なことではないのかもしれない。

「指導力」とは違う、「気配り」や「心配り」、「気遣い」などの部分こそ、まず身に付けたい「人間力」だなと思う。そういう「人間力」がある人は、やっぱり周りから支えられているし、支えられているという実感も得ているなと思う。