新米教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

宿題をやれない子どもたち

私は宿題は少なくていいなと思う方。何より多く宿題を出すと、見るのが辛い。だから、高学年になるからといって、宿題を増やすというのはあまり好きではない。宿題を増やすというより、自分の学習として時間を増やしていくことのほうが質も上がると思う。

宿題が学力向上に直結するとも思わない。結果的に学力が向上していくようなものであるといい。

でも、実際は繰り返しのドリル学習、プリント三昧。。。子どもたちにとってはただ「こなす」だけの宿題が多い。家庭学習を授業と関連させることの大切さについてよくいわれているが、なかなかうまくいかない。


宿題を全くやってこない子どもはいつも一定数いる。それは、上記の理由によるものもあるだろう。つまり、宿題をする目的を見いだせてないということ。


しかし、本当はそうではないと思う。

一見、目的が見いだせないドリル学習も、低学年、中学年ではある程度必要でもある。習慣付けだ。高学年であっても学習内容定着の面や効率化(つまりは速さ)の面などを考えると、やはり必要ではある。

ただ問題なのは、そればかりだったり、毎日毎日同じような宿題であることだろう。


でも、全く宿題をやってこない子どもは、低学年の時もやらないことが多い。また、どんな宿題もやらない。どんなに簡単な宿題でも、どんなに量が少くてもやらないのだ。

つまり、その子にとって、宿題の目的などはどうでもいいのだ。ただ、宿題はやるものではないのだ。

先生の宿題の出し方以前の問題であり、その子の生活習慣そのものの問題なのである。


私が子どもの頃は、「宿題、嫌だな」と思っていても、必ずやっていた。宿題はやるものであり、「宿題をやらないという選択肢はなかった」のである。


それと、不思議なのは「うちの子は宿題をやっていかないので、残してでもやらせてください」という保護者。それじゃ、もはや宿題ではないのではないか。宿題は家でやるものであり、学校でやるものではない。それを学校でやるということは、学校でやるべきことができなくなるということなのだ。

だったら、家でやらせてくれよと思ってしまう。


とにかく、そんなんでいいのかなぁと呆れてしまう。小学校の宿題ができないようではこれから先、まともに生きていけないのではないか。

まあ、知ったことではない。私の仕事は宿題をやらせることではない。いい授業をすることだ。家庭の問題は家庭でお願いします。