しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

管理の立場から見た「仕事ができる人」とは「仕事をしてくれる人」

とても気持ちのよいぽかぽか陽気。このまま春を迎えるのかと思いながら久々の洗車。

こんなにも雪が降らない年はない。春までにやはり一回くらいはドーンと降る日が来るのではないかと疑ってしまう。


春が来るということは今年度ももうすぐ終わるということ。残り一ヶ月ということで、来年度の噂に花が咲く。

「◯◯先生は、何年生だろう」だとか「◯◯先生(講師)は更新されないのではないか」「もしかしたら◯◯先生は転勤?」等々。他人事を楽しんで話し始めている。


私はおそらく先生方から「仕事ができる人」と見られていると思う。自惚れているわけでもなく、そもそも本当に力があるわけでもない。

「truth先生は来年も忙しいよ」「truth先生に仕事が回るのは仕方がないよ」などと言われている。そこが先生方が思う「仕事ができる人」なのだ。


そこには、実力があるとかないとか、能力があるとかないとかは関係ない。大きな要因は「仕事をするかしないか」なのである。


「仕事をする」というのは当然のことと思われるかもしれないが、殊に教員の世界は「ゴネる」が通用してしまう。

「高学年はできません」
「低学年しかできません」
「宿泊にはいけません」
「研修主任なんてできません」
「学年主任は無理です」

「できません」「無理です」といえば、なんとかなる。管理職としても、そういう先生に無理に校務分掌をあてがって、学級崩壊させられても困るだろうし、校務が上手く進まなくなっても困るだろう。

そうなると、自然とゴネれば仕事をしなくて済むという先生が出てきてしまうのだ。

もちろん、そういう先生ばかりではないが(ゴネても聞いてもらえない先生もいるが)、一般企業ではありえない光景なのではないか。


となると、仕事をする先生は、「仕事をしてくれる先生」であり、結果的に「仕事をしてくれる先生」が「仕事ができる先生」となっていくのである。


でも、ゴネる先生にはなりたくない。

もちろん、自分の能力を超えることはできないが、自分ができることを一生懸命するということはできるはず。その中で、よりベターな仕事をしたり、そのためにアイデアを生み出そうと学んだり、できることはあるはず。

そういう仕事をしていれば、いつか結果が出るのではないだろうか。