新米教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

働き方改革には「意識改革」が必要条件

卒業式が終わり、今年度の授業がすべて終了した。あとは、年度末の事務整理と新年度に向けた諸準備をすることになる。

授業が終わっても、いろいろとやることは多いが、それでも学期中に比べれば、少しは余裕があるはず。


しかしながら、どうやら今日も学校が開くらしい。仕事が終わらない先生方が、休日出勤(出勤ではないのだが)するとのこと。

確かに6年生担任は、中学校に指導要録を送る関係もあり、待った無しでやることもあるが、それでも休日に仕事に行ってまでやることでもないのではないかと思う。


働き方改革といわれている。管理職としては、できるだけ先生方が早く退勤できるようにという思いをもっているが、当の先生方はただ単に、「ああ、忙しい」「あれを無くせ」「これも無くせ」と文句だけをいう。いろいろと縮減しても結局遅くまで残り、「忙しさ」に悪態をつくだけである。


いろいろと仕事は削減されているのは確か。でも、先生方が帰らないのも確か。じゃあ、何をしているのかというと、放課後はお茶を飲みながら、グタグダと話をしたり、永遠にプリントの丸付けをしたりするだけなのだ(特に低学年のオバちゃんたち)。それでいて、「忙しい」「もっと無くせ」とくる。おそらくもっと無くしても、この人たちの忙しさ(?)は変わらずに、もっとゆっくりと永遠の丸付けをしているのだろう。


働き方改革という言葉が出る前から、私からすればこのオバちゃんたちは「そんなに家に帰りたくないのかな」と疑問でしかなかった。ただ、ダラダラと学校に残り、仕事をしていると勘違いしながら、嫌な家庭に帰らないという選択をしているだけなのだ。


現に私はすべて終わっている。明らかにオバちゃんたちよりも仕事量は多いと思うが、それでも勤務日の中で終わらせ、しかもオバちゃんたちよりも早く退勤しているのだ。


そう考えると、本当の価値ある働き方改革のためには、自分たちの仕事に対する「意識改革」が前提になければならないことが分かる。

今自分は仕事に対してどう見ているか、どう向かっているか、何のためにしているのか、何のためになっているのか等々、根底から省察し、必要なものをしっかりと残しつつ、いらないことだけではなく、いらない考え方働き方自体を無くしていくようにしなければならないのだ。


今の働き方改革は、本質からは程遠い。でも、オバちゃんたち(一部だが)の働く姿勢は、教育者からも程遠い。。。