新米教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

短い春【子どもなりの比較】

現在の勤務地は、日本有数の豪雪地帯。学校の敷地脇に積み上げられた雪の山(雪が運ばれてできた山)はようやく無くなるところだ。今年は雪が少なかったなどと言われているが、今度の冬はどうなのだろう。今から不安である。


先日、給食時に放送委員会の子どもが、クイズを出していた。

「雪が溶けたら何になる?」

というクイズ。クイズというより、なぞなぞに近いかな?このクイズの答えは「春」とのこと。

なかなか答えが出ない中、クイズを出す6年生がヒントを出す。(少人数の学校であるため、全校生で一緒に給食を食べる)

「この町では短いです」

豪雪地帯の町。雪解けが遅いことから、春は短いと考えている。


でも、ここに住む子どもたちにとっては、豪雪地帯が当たり前であり、それが標準である。そのため、この町の「春」が、子どもたちの当たり前の「春」なのだ。

それなのに、「春は短い」と話している。自分たちにとっての「春」を当たり前の「春」とは捉えていないのだ。

ということは、子どもたちの中で、どこかで一般的な「春」と自分たちにとっての「春」を比較しているのだ。

それは、メディアからの情報をもとにした比較かもしれないし、親をはじめとした大人からの情報をもとにした比較かもしれない。11年間の生活経験から得たものをもとにした比較かもしれない。


生活科では「無自覚の気付きを、自覚化させる」ことが気付きの質の高まりの一つとしている。

このような表現に目をつけ、それを子どもに返してあげることが、子どもたちの視点の広がりや表現力の高まりなどに繫がるのだろうなと改めて感じる。