新米教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

真似(?)してもらえる嬉しさと、幾ばくかのもどかしさ

生活科の研究をしていた時のこと。

研究に行き詰まり、子どもの思いや変容をどうやって見取ったらいいのか分からなくなっていたとき、舞い降りた一つの方法。

それが、

『せいかつかめも』

である。

なんのことはない、ただの学習カードである。毎時間の終末に、その時間にがんばったことや楽しかったこと、うれしかったこと、みんなに教えたいこと、悩んだこと、悔しかったこと、次にがんばりたいこと等々、書かせて、それをその時間の振り返りや次時の導入に生かしていた。

それをポートフォリオ的にためていくのである。本当にただの学習カードである。


ただ、私なりにこだわったのは、子どもたちの表現を制限させないことである。絵でもいいし、文章で書いてもいいし、混ざっていてもいいし、下手でもいいし、たった一言でもいいし、字が間違っていてもいい。子どもたちがその時の自分の思いを素直に、そして正直に、生き生きと表現させたかったのだ。生活科は楽しい教科であってほしいからである。

自由に表現させると、様々なものが見えてくるようになる。それが、私の子どもたちの見取りに繫がったのだ。



今年度、本校の研究する教科領域は生活科と総合的な学習の時間である。
先生たちにとっては、研究するのになかなか難しい教科領域なのかもしれない。だからこそ、どの先生も手探りだったり、自信なさげだ。

そんな中、研修主任も生活科の授業を悩みながらがんばっている。先日、私がやっていたことを話す機会があった。それが『せいかつかめも』である。
その時の写真やデータを見せながら、こんなことをやっていたということを伝えた。


すると、その先生の教室には、その『せいかつかめも』があった。藁にもすがる思いだったのかもしれないが、私の『せいかつかめも』を使ってくれていたのだ。素直にうれしかった。

うれしさの中にも少しもどかしさも感じる。そのもどかしさの理由はなんなのかはよく分からないが、自分の手立てを、他の先生を通して私がそれを検証しなければならないような気がすると、なんとなく気が引き締まる。
それに、その先生なりのバージョンアップも求めたくなる。


でも、なんか楽しみになってきた。。。