新米教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

共感的理解は人を変えていく

昨年度は5年生の担任をしていた。

引き継ぐ際、学年1の問題児という子を受け持つことになった。

実際に担任してみると、確かにクセはあるが、根っからの悪ではなく、友だちに対して優しい一面も多かった。


指導されること(つまりは叱咤)に拒否反応を示し、聞く耳をもたなくなる。結局は、自分の話を聞いてもらえないという環境で、4年生を過ごしたのである。


この子どもを、こんなふうにしてしまったのは、紛れもなく4年生の頃の担任であり、本当に辛い1年間を過ごしたのだろう。


私はできるだけ、その子どもの話を聞くようにし、よい所は素直にほめ、悪い所は贔屓なしで指導した。


少しずつだが、私を受け入れてくれるようになったと思っている。離任式の時は、花束と手紙をもらった。




現任校に、ちょっと困った新採用の先生がいるということは、以前記事にした。


とにかく、悪い言葉遣いとネガティブ思考であり、かかわり方が難しい先生だ。


でも、その先生を否定しても何も変わらない。とにかく、よい所はほめ、話を聞き、間違っているところはそれを伝えるようにし、その先生を一人の同僚として接するようにしてきた。



すると、その先生も少しずつ変わってきたように思える。ちゃんと謝るようになった。周りの先生方に相談するようになった。気を遣えるようになった。冗談が通じるようになってきた。

今日は、「私たちが早く帰らないと、教頭先生が帰れないですよね?この仕事だけやって帰ってもいいですか?」などという発言まで聞かれるようになった。



最初に挙げた子ども、そして新採用の先生の事例に共通するかかわり方のベースは、「共感的理解」だ。その人に寄り添うということだ。それは、ただ単にほめるとか、持ち上げるとか、腫れ物に触るように接するとかではなく、その人の話をしっかり聞いたり、背景を考えたりした上で、ほめたり指導したりするということだ。


おそらく人は、一人の存在としてしっかりと認められたいのだろう。だから、差別なく、贔屓なく、一人の人として認めてあげることが大切なのだろう。



教育の本質は子どもも大人も関係ないのだろうな。