新米教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

文章表現は好みもあるが、、、

学級懇談会要項に、通知表の所見等々、先生方から多くの起案される文書が上がってくる。

教務、教頭、校長とあがってチェックされていくのだが、その過程で朱が入っていく。先生方には申し訳ないとも思いながら、私は気付いたことはドンドンと朱を入れていくのだが、去年まではそんなに直されていなかったような雰囲気を感じる。

つまり、私は先生方にとっては直しを入れすぎていると感じているかもしれない

他の人からすれば、オッケーのような表現でも、私は指摘してしまっているのだろう。先生方にしたら「めんどくさい教頭だ」と思われていてもおかしくない。

「前の教頭先生はよかったのに、今度の教頭先生になったらだめになった」というのは、いいことではない。でも、現実としてある。

主述のズレや、並列にはならないような羅列、「嘘・大げさ・紛らわしい」JARO的な表現など、明らかに直した方がいいものについての朱は仕方がないと思うが、もしかしたら「私の好み」の表現に関しての朱もたくさんあるのが実際のところだと思う。

少しでも分かりやすい表現だったり、その子どもの様子が伝わりやすい表現だったり、良かれと思って朱を入れているつもりでも、担任の先生にとっては、ニュアンスが違くなってしまっていることもあるかもしれない。

そうなってしまったら本末転倒だ。でも、教頭に朱を入れられたら、不本意でも直さなきゃと思ってしまい、思いや意図とは違う表現に改悪してしまうことになることも考えられる。


何がいいたいかというと、検閲する側としても意識しておくことがあるということ。自分の感覚だけではなく、その先生や子ども、状況など想像したり聞いたりしながら、ズレをなくしていかなければならない。じゃないと、「あの教頭はめんどくさい」で終わってしまうかもしれない。。。